2009年度 第5回 連続公開シンポジウム 未来の声を聴こう

サブカルチャー批評をリードしてきた3人

宇野 常寛氏

ここ15年ほど、日本で静かな盛り上がりを見せているサブカルチャー批評。マンガやアニメ、テレビ番組、ウェブカルチャーといったサブカルチャーを中心的な対象とし、ファンの消費行動・購買行動などの分析から、わが国の特異な社会構造をえぐり出しています。その代表的な担い手は、次の3人です。ちなみにこれから紹介する論者にとってサブカルチャー批評は思考の補助線にすぎません。しかし現代日本を代表する知性がいずれもサブカルチャーを通して社会を見ていたという事実は重要です。

まず社会学のシステム理論の手法を用いる宮台真司氏。彼は、現代の日本社会において、文化は人間のコミュニケーション態度が決定すると主張しました。それは噛み砕いて言えば日本では相対的に地域差、階級差、経済格差といった要因を圧倒して、個人のいわゆる「キャラ」が文化の嗜好を決定付けていると言うのです。

つまり宮台氏は、日本社会が、そうした異常なまでに個人的なコミュニケーションで決定されてしまう奇妙な文化空間を、90年代に形成し始めたことを指摘したのです。

また彼は、ポスト・モダニズムの役割であった近代的な構造の解体はすでに終わり、今はそれを前提として世の中をどう回すかに問題は移っていると、いち早く主張した人物でもあります。

続いて大塚英志氏。学問的背景は民俗学。編集者として、また90年代当時の若者文化の解説者として活躍しています。

彼はまず、わが国のサブカルチャーの多くが、物語消費という特異な形式をとっていることを指摘しました。例えば『機動戦士ガンダム』シリーズのファンは、単にアニメのストーリーを追うだけでなく、そこに描かれる架空の歴史、世界観全体を楽しむ。これが大塚氏のいう「物語消費」で、このアイデアは、私自身にも大きな影響を与えています。

さらに大塚氏は、現代社会には公共性を裏付けるための物語が必要で、その物語の獲得は、人為的にコントロール可能であると主張。すでにリアリティを失いつつあった戦後民主主義を美化し、“おたく”文化をその延長線上に位置づけることで、それを延長しようともくろんだ。これは明らかにフィクションですが、アイデンティティ不安に陥った日本人を救済するためには、偽物でもいいから大きな物語、すなわち「偽史」の導入が必要だと、彼は考えたのです。

最後に東浩紀氏。宮台氏、大塚氏と継承されたサブカルチャー批評を、自分の専門であるフランス現代思想、ポスト・モダニズムの言葉で整理し、ハイブリッド化しました。

彼は政治と文学、すなわちシステムと実存の問題が、現代日本では決定的に分離し、ポスト・モダン状況の本質にある二層構造を形成していることを指摘。これは、いわば大型ショッピングセンターのイメージで、政治=システムという「陳列棚」の上に、さまざまなコミュニティや物語という「商品」が、無限にかつ等価値のものとして並べられているということです。消費者はどの「商品」を選ぶのも自由です。つまり、信じたいものを信じることができる。しかし、そこには万人に通用する公共的な価値を持つものは、原理的に存在し得ない。

グローバル資本主義の構造そのものであり、インターネットの構造そのものだからです。口先で、システムの外側に自分が立っていると言うのはたやすい。むしろそう思い込むことで、ここの小さな物語、すなはち島宇宙はその求心力を獲得しているからです。

しかし、本当にシステムの外側に立っていると主張し得る立場は、論理的に突き詰めて考えれば考えるほどあり得ない。たとえ地元の伝統の味を守る老舗の商品だったとしても、あるいは役者の身体性に依存したその場限りのパフォーマンスだとしても、私たちがそこにアクセスするには貨幣やネットワーク、つまり結局はこの価値中立的な単一のアーキテクチャに依存する必要があります。少し意地悪な言い方をすると、スローフード系の食材やエコ系のグッズを手に入れるには、都市部では無印良品などの量販店、郊外においては大型ショッピングセンター、あるいはアマゾンなどのECサイトにアクセスするのが圧倒的に効率的です。グローバル資本主義とは、グローバル資本主義批判すらも商品として自動的に取り込んでしまうわけです。

いかなる選択もその枠組みから逃れられない以上、内側からシステムを変えることを試みる以外にありません。この考え方が近年の新しい批評や思想の主流となっているのです。

戦後の価値観が失効した90年代

宇野 常寛氏

こうした新しい批評が取り組んでいた課題の一つは、「95年問題」とも呼ぶべきもので、これは言い換えると、ポスト戦後問題です。90年代に入り、冷戦終結とバブル崩壊で、日本社会では急速に戦後的なものが解体されていきます。政治的な対立軸があいまいになり、社会は極端にフラット化。村上春樹氏の言う「ビッグ・ブラザー」から「リトル・ピープル」への転換が起こります。

この時期を象徴する作品は『新世紀エヴァンゲリオン』です。ロボット戦記物のアニメ作品では、主人公は大概、父親=社会から身体の延長としてのロボットを与えられ、それを操って戦うことで、社会的自己実現を果たしていきます。ところがエヴァンゲリオンでは物語の後半で、主人公が父親を信じられなくなり、戦いをやめてしまう。社会から与えられる価値観が信じられなくなり、そんな社会の中での自己実現にも確信が持てないという、平成不況の時代の空気を体現した作品と言えるでしょう。

戦後的な価値体系が失効し、それに変わる価値も獲得できない――この問題に対して示された解決の方向性は、次の二つです。

一つは、先述の大塚氏あるいは「新しい歴史教科書をつくる会」のように、「偽史」すなわち大きな物語を供給すること。これは、信じられなくなった父親=社会を、新たにねつ造してみせることにほかなりません。彼らは、自分たちの提示する物語が偽物、幻想であると自覚しながら、世の中を安定させるためには、それが必要だと主張します。

もう一つは、父親すなわち既存の価値観が信じられないことを前提に、それでも回っていく社会を構築すること。宮台氏、東氏らの処方箋です。

これは、近代に戻れると考える前者と、もはや戻れないと考える後者との対立ととらえることもできます。しかし前者が提供する物語は、実際は小さな物語の一つに過ぎず、結局社会の「二層構造」を打破することはできないように思えます。



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