2008年度
連続公開シンポジウム
未来の声を聴こう

今日は珍しいものを持ってきました。サハラ砂漠で発掘された22万年前の石器です。アートの起源と意識の起源は時期を同じくしているのではないかと考えていますが、この石器が使われた旧石器時代がちょうどその頃にあたります。世界があって自分がある、自分とは何だろう、と意識し、道具を使って世界に働きかける。つまり道具の発生と意識の発生は同時に起こっているわけです。
持ってみると、手にしっくりとなじむので驚きます。皮膚感覚から、22万年前の人間の意識が染み込んでくるようです。そこから20万年ほど後の新石器時代の石器も、旧石器のものと比べてかなり薄くなっていますが、実によく手になじむ。こうして古いものを体感することによって、自分の血の中に流れている人類の歴史が思い出されるような気がします。
古代人と現代の自分とが共有できるようなイメージ、ビジョンはないものだろうか……。そう考えて行き着いたところが海です。地上はすべて人間が手を尽くし、壊してしまった。でも、海の景色だけは数十万年前と比べてもそれほど変わっていないのではないか。そこで1980年に「海景」(Sea Scapes)シリーズを撮り始めました。
そのきっかけとなったのは、1977年に栃木県の「華厳(けごん)の滝」を撮った作品です。雨の中、ほんの5秒ほど晴れた瞬間に偶然撮れた写真です。火山が爆発し、溶岩が流れて川をせき止め、水が溜まって中禅寺湖ができる。水でいっぱいになった中禅寺湖から、滝となってあふれ出る……その最初の一瞬が写ったような気がしたのです。人類が生まれてくる前の状態さえもが見えた、と感じた。これがきっかけでした。

最新作は10月にオープンした「IZU PHOTO MUSEUM」です。建築設計から造園まで自分で手掛けた上に、開館展まで「杉本展」でした。現代的な感覚と古代的なものを合体させる、というのが“杉本趣味”だと言えるでしょうか。ある意味ではモダニズムの延長で、ポストモダンを経験した後でポストモダンを批判しながら再び正調モダニズムに戻っていく、というようなスタンスだと思います。
ギャラリー空間を抜けた中庭に石組みを造ろうと考えたところ、石室付きの古墳のようなものができあがりました。日本の古墳時代以前の石組みや穴太(あのう)衆という戦国時代に活躍した石組み集団が造ったとされる、比叡山周辺の石垣などを丹念に見て歩いた成果でもあります。普通の建築家は図面を描いてその通りに作ってもらいますが、杉本建築では図面はあくまでもガイドです。岩盤から自然にはがれた石を積んでいく中で、石が自ら形を現してきたと言えるでしょう。
古墳の中からは、車輪石や勾玉、ガラスなどが発掘されます。つまり古墳というのは、宝物を副葬品として遺体とともに納める場所なのです。現代の美術館は宝物を陳列するところであり、遺体はありません。そこで、IZU PHOTO MUSEUMは古墳が美術館に併設されている、という設計にしたのです。
僕の初めての建築の仕事は「直島・家プロジェクト」(香川県直島町)のひとつとして、足利時代に起源を持つ護王神社を再建する、というものでした。日本の神は空中に浮遊していて巨木や巨石などの「力の場」、人間が掃き清めた神聖な場所に降りてくると考えられています。そこで、24トンの巨石を神の拠代(よりしろ)としてとらえ、その下に石室を造りました。この石室は、1カ月ほど掘り続けた後に大雨があり、自然に崩れた跡から岩が露出して自ら現れてきたものです。地上の社(やしろ)と地下を結ぶ階段は、カメラのレンズを作る非常に高硬度な光学ガラスで造り、巨石によって分離しました。人間は上下できないが、光だけが通過することができる……そんな特殊な神殿を考えたのです。石室を訪れて地上へ戻る時、正面には瀬戸内海が現れ、古代から続く海、実際の「海景」を望むことができます。

2006年から暗室の中で発電機を使って電気を起こし、生のフィルムの上に小さな雷を落雷させ、その痕を記録する「放電場」(“Lightning Fields”)シリーズの創作を続けています。レンズもカメラもないので、写真と言うよりも「写真的なもの」です。光った時の形は非常に無機的なものだろうと予想していましたが、生命の原初の形態のようなアメーバ状のものが写りました。面白くてやめられなくなってしまいました。さらに最近はヒマラヤで採れた岩塩を水に溶いて放電しないままのフィルムを入れる、ということを始めました。ヒマラヤは、数億年前は海底でした。生命の発生に関する一説に、アミノ酸を含んだ隕石が海のある地表に激突した時、その衝撃で最初の有機物の形態が現れた、というものがあります。それを考えると、電気的なショックを一種の隕石の衝突とした場合、ヒマラヤの岩塩を溶いた古代の海でこのように有機的な形が出てくるのは、生命発生のセオリーと何か関連があるのではないか、と思っています。