立教大学2006年 新学部・新学科開設記念 連続公開シンポジウム <未来の声を聴こう>
写真 立教大学は今年、2つの新学部(経営学部、現代心理学部)と7つの新学科(経済政策学科、メディア社会学科、交流文化学科、コミュニティ政策学科、文学科〈文芸・思想専修など5専修に再編〉、国際経営学科、映像身体学科)を開設しました。これは、時代の大きな変化に対応すると共に、新たな知の創造をめざす教育改革の一環です。
2007年4月には、法学部の「国際・比較法学科」を「国際ビジネス法学科」に名称変更し、グローバル化するビジネス社会で求められる人材育成のための教育プログラムを拡充します。
これらを記念して、昨年度に引き続き、各分野における先端的な課題をとらえた連続公開シンポジウム<未来の声を聴こう>を開催します。

採録
メンデルスゾーン・ガラ・コンサート記念ディスカッションクルト・マズア氏と語る「知られざるメンデルスゾーン」
日時:2006年12月6日(水) 16:00~17:00
場所:立教大学池袋キャンパス 11号館AB01教室
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写真
『可能性を探す-リーダーの役割-』安藤忠雄氏 建築家
■企画趣旨
 ドイツ・ロマン派を代表する作曲家メンデルスゾーンが、ユダヤ系エリート一族に生まれたこと、少年期にキリスト教に改宗し、ロマン派の作曲家にしては珍しく多くの宗教音楽を作曲したこと、当時忘れ去られていたバッハの音楽を復活させたこと…等々をどれだけの人が知っているでしょうか。彼の人となりや生き様は意外に知られておらず、また、代表作以外の彼の膨大な作品群の魅力もいまだ汲み尽くされていません。

 クルト・マズア氏は、こうした「知られざるメンデルスゾーン」に早くから関心を寄せ、彼の音楽の再評価に取り組んできたパイオニアです。1970年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の第17代音楽監督に就任したマズア氏は、それまで知られなかった作品を中心に、メンデルスゾーンのレパートリーの拡大に努めました。

 2009年のメンデルスゾーン・イヤー(メンデルスゾーン生誕200年)に向けて、マズア氏の活動はますます勢いを増し、2004年冬のパリを皮切りに、世界各地で「メンデルスゾーン・ガラ・コンサート」を企画し、今年の12月10日にはいよいよ東京で催されることになりました。演奏会に先立ち、マズア氏が自ら「今なぜメンデルスゾーンなのか」を熱く語ります。まばゆいばかりの才能と幅広い教養にあふれ、音楽と社会に対する真摯な情熱に貫かれたメンデルスゾーンの真価を、マズア氏とともに再発見しませんか?

 当日の司会進行は、メンデルスゾーン研究者の星野宏美(立教大学助教授)が務め、質問形式で「知られざるメンデルスゾーン」をマズア氏と語ります。演奏・録画例も取り上げる予定です。参加者の方々からの質問も大歓迎です。どうぞご期待ください。
メンデルスゾーンの業績を再認識して正当な評価を

星野 本日は、名誉学位授与式に先立って、クルト・マズアさんご自身からご提案いただき、この貴重な場を持つことができました。まず、そのことに感謝いたします。

マズア 現代において、メンデルスゾーンの人となりは過小評価されています。私は彼が正当な評価を回復するよう力を注いできて、これからもそうするつもりです。ですから、彼について語るこうした機会は、私にとっても貴重なのです。

星野 メンデルスゾーンは祖国ドイツでも、ナチスの時代に演奏が禁止されましたよね。

マズア たしかに彼はユダヤ系でした。しかし彼の人となりを理解するためには、彼が同時にドイツ人であり、また改宗してクリスチャンでもあったということを頭に入れる必要があります。

 彼が生きていた当時、ドイツは多くの領邦国家に分裂しており、このことはドイツを愛するメンデルスゾーンを苦しめました。それで彼は、音楽を通して国の統一に貢献したいと考えていたのです。そして彼が特に、宗教間の対立を無意味なものと感じていたことは、旧約の神(ヤハウェ)と異教の神(バアル)の対立をテーマとしたオラトリオ《エリア》などの作品にも見てとることができます。

星野 メンデルスゾーンの作品は、ポピュラーなものも含めて、いまだに深い理解がなされていないように思います。

マズア たとえば彼が旅行した時に作曲した《イタリア交響曲》は明るく朗らかで、イタリアの気候や風土をそのまま写しとったかのようです。モーツァルトにも共通する軽快さがあります。一方、《スコットランド交響曲》は、北方の荒々しい自然を描写した部分など、ワグナー的と もいえるでしょう。スコットランドの悲劇の女王メアリー・スチュアートにインスパイアされて作っ たともいわれ、深いドラマ性をたたえています。このように、彼は多彩な作曲技法を操り、模範的な作曲家として高く評価されていました。

星野 今回のガラ・コンサートのチラシには、メンデルスゾーン自身が描いた絵を使っているのですが、こちらの才能も素晴らしいですね。

マズア 彼の書簡を読むと、文章にも優れていたことがわかります。

星野 そしてもちろん音楽家としても、マズアさんご自身が後に就任される、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(音楽監督)になるなど、作曲以外の面でも活躍しています。

マズア ゲヴァントハウスの音楽監督になるということは、ライプツィヒという街全体の音楽に責任を持つということを意味します。実際、彼はほかの音楽家たちのために戦いました。彼が市当局にあてた抗議や要望の手紙が数多く残っています。

 実は私も、かつてよく市に同様な手紙を書いたのですが、ある時、ちょうどメンデルスゾーンの書簡集を読んだ市長に、「彼の手紙に比べれば、あなたのはよほど友好的だ」といわれました(笑)。まさに彼の尽力によって、ライプツィヒはウィーンと並ぶ音楽の都となったのです。

 もう一つ忘れてならないのは、彼が自分のすべての作品を指揮したということです。それまで、合唱を伴わない管弦楽曲は指揮者なしで演奏されていました。ですからメンデルスゾーンは、西洋音楽における指揮の歴史に重要な一歩を残しているのです。

星野 さらに彼は、ライプツィヒ音楽院を創設しましたね。

マズア 自分が創り出した新しい音楽の形を次の世代に伝えようとしたのです。ライプツィヒ音楽院は、創設から20年間で、アメリカから6000人もの留学生を迎え入れているように、世界の音楽にとって重要な役割を果たすことになります。

 また、メンデルスゾーンは、音楽院の優秀な卒業生をゲヴァントハウスに引き入れるということもはじめました。私が指揮していたころも、私自身を含めて楽団員の85%は音楽院の出身でした。

 このようにしてメンデルスゾーンの音楽院が支えてきたゲヴァントハウスが、オペラから管弦楽曲、そして教会音楽まで担当するライプツィヒの音楽の中心であり、市民の誇りであることは、昔も今も全く変わっていないのです。

連続ガラ・コンサートでメンデルスゾーン・ルネッサンスを

星野 今回の来日の主要な目的は、ガラ・コンサートの指揮ということですね。

マズア パリ、ニューヨークをはじめ世界各地でシリーズとして行っており、次は東京になります。

星野 シリーズで行なうことは、どのような意義を持っているのですか。

マズア 世界のメンデルスゾーン愛好者を一つにしたい。それによって、いわばメンデルスゾーン・ルネッサンスを巻き起こしたいと考えているのです。

星野 東京でのプログラムを見ると、《ルイ・ブラス》というあまり知られていない作品が入っていますが。

マズア ヴィクトル・ユーゴーの戯曲に対する序曲です。メンデルスゾーンは、その芝居がライプツィヒで上演される3日前に依頼を受け、短期間で序曲を書き上げたばかりか、オーケストラに練習させ、自ら指揮して初日から演奏したというエピソードが残っています。

星野 そのほかは《イタリア交響曲》と《ヴァイオリン協奏曲》と、最もポピュラーな2曲ですが、逆に知られざる名曲をどんどん紹介していこうというお考えはないのですか。

マズア ガラ・コンサートは聴衆が楽しむためのものであって、勉強するためのものではありませんから(笑)。

 でも生誕200周年にあたる2009年に、メンデルスゾーンの全曲演奏会をやるという企画があれば、喜んで飛んできますよ。

質疑応答
聴衆1 バッハやヘンデルの音楽に再び光を当てたこともメンデルスゾーンの大きな功績の一つだと思いますが、きっかけは何だったのですか。

マズア 第二次世界大戦後に発見された「初期シンフォニア」と呼ばれる、彼が9~13歳ごろの作品群を見ると、バッハの様式、モーツァルトの様式、ベートーヴェンの様式で書かれています。つまり、早くからバッハの音楽に関心を持っていたことが伺えるのです。

 そして直接的には、15歳のころに祖母から《マタイ受難曲》のスコアを手にいれ、それを自分で研究したようです。そして、バッハとゆかりのあるライプツィヒですら100年間忘れ去られていたこの曲を復活させることになったのです。そして後には、お金を集めてバッハ記念碑を建てるといった活動も行ないました。

聴衆2 最近、メンデルスゾーンの姉が彼の活動に大きくかかわっていたのではないかといわれていますが、マズアさんは彼女の存在をどうお考えですか。

マズア 姉のファニーとの関係について正確なことは何もわかっていません。ただ、姉の死に際して、彼のショックの大きさなどを見ると、単なる兄弟という関係を超えた、深い絆で結ばれていただろうと想像されます。ファニーも実は才能ある作曲家でした。しかし、当時のヨーロッパの男性社会の中で、女性の作曲家は活躍の場が与えられなかったのです。

聴衆3 メンデルスゾーンの性格をどう捉えていらっしゃいますか。

マズア 彼の人生観は、私や妻の規範となっています。パートナー同士、そして社会に対する思いやりや責任感。また、彼の音楽の表現におけるまじめさ、ユーモア、ゆるぎなさなどは、彼の人生にもそのまま現れていると思います。

聴衆4 メンデルスゾーンがユダヤ系であったということは、彼の音楽にどのような影響を与えていますか。

マズア 彼が生きていた当時の反ユダヤ主義は、もちろんヒトラーの時代のように激しいものではありませんでした。そして、メンデルスゾーンは、自分の感傷を音楽の形で表現しようとするタイプの作曲家でもありませんでした。ですから、作品そのものの中に「ユダヤ的なもの」を求めることはあまり意味がないと思います。

 また、第二次大戦中も、ドイツに占領されなかった国々ではメンデルスゾーンの作品が演奏されていました。したがって、彼が過小評価される理由は、必ずしもユダヤ系であることとは関係していないかもしれません。

聴衆5 モーツァルトは「癒し効果」などが強調されてブームになりましたが、メンデルスゾーンの音楽はいかがですか。

マズア 1991年以降、私はニューヨークに本拠をおいていますが、「9.11」の後の演奏会で、ある批評にこう書かれました。「マズアは音楽に人を癒す力があると発言し、われわれは『そう、音楽は素晴らしい』と微笑みながら頷いていた。しかし、今日、彼の言葉の重みをわれわれは実感した。」

 そうした力を持つ音楽は、もちろんモーツァルトだけではないのです。

聴衆6 マズアさんは、東西ドイツ統一前夜の1989年、東ドイツの民衆にメッセージを送られたという話が知られていますが、どういったいきさつからですか?

マズア 当時、教会の祈祷集会に人々が集まったのち、市中を抗議デモしながら回ることが日常的となっており、軍隊が出動する事態もありました。その混乱を憂慮して、街の有力者6人が集まり、人々に自制を呼びかける声明文を作ったのです。そして6人の中でたまたま一番名の通っていた私が代表してそれを読み上げ、街中のスピーカーから流してもらったのです。「平和革命」の必要性を人々に訴え、市民と政府の間で自由な意見の交換を可能にするべく私もできるかぎりの努力をすると約束しました。 おそらく、メンデルスゾーンがあの状況を見たら、私と同じことをしたでしょう。社会に対して責任をもつこと、真の相互理解と平和を願うこと、そして、理想のためには決して努力を惜しまないことを、私はメンデルスゾーンの人となりと音楽から学んだのです。

採録
音楽を通した世界平和への貢献に敬意を表してクルト・マズア氏名誉博士号授与式立教大学学生有志による祝賀演奏(合唱とオーケストラ) /指揮:スコット・ショー(本学文学部キリスト教学科教授)記念講演「世界の架け橋としての音楽」
日時:2006年12月6日(水) 18:00~19:30
場所:立教大学池袋キャンパス タッカーホール
>>キャンパスまでのアクセスはこちら
主催: 立教大学百周年記念事業実行委員会 立教大学文学部文学科ドイツ文学専修
問い合わせ先: 立教大学文学部百周年記念事業実行委員会事務局(03-3985-3392)
 立教大学では、マズア氏の音楽活動および音楽を通した世界平和への貢献を高く評価し、名誉博士号を授与することになりました。氏のたゆみない活動を通して、社会における音楽の意味を新たに考え、さらには立教大学が建学以来重視してきたリベラル・アーツの伝統と音楽、および諸芸術の重要性を、学内外のみなさまとともに再確認する機会となることを願っています。
伝統文化を現代に生かす日本が世界の模範に

 ただ今私が頂きました名誉に深く感謝いたします。

 立教大学は私にとって「輝く太陽」です。30年以上幸せに連れ添っている妻の偕子の父は、この大学のチャプレンであり、偕子自身もここでドイツ文学を学びました。そして息子も立教英国学院を卒業しています。ただ一人「よそ者」であった私が、今日こうして仲間に入れていただきました。多くのリーダーを社会へ輩出しているこの大学に、さらに近づくことができて大変光栄です。

 偕子と日本を訪れるたびに、この国に生まれたことを誇りに思うべきだと話しています。東京で初めてマクドナルドを見た時、これで日本の文化も失われてしまうのかとショックを受けました(笑)。でもそれは無用の心配でした。日本は、時代遅れになることなく、伝統文化を守り続けている数少ない国の一つだと思います。

 いつも感心するのは、日本人の文化的生活のレベルの高さ。戦争や宗教観の対立、金儲けなどを離れて、心や魂の豊かさを求めることで、人生がどんなに美しいものになるかを、実感させられるのです。

 日本人は、子どもを育てることへの責任感も強い国民だと思います。子どもたちは健康と幸せに満ちて生まれ、母親の歌を聞く。そうして音楽を感じることは、花々やおとぎ話、遊びに触れることと同様、人生で最も美しい体験です。それは、将来その子の役に立つ、大切な贈り物となるのです。

 息子が幼いころ、母親に泣きながら「なぜ人間は死ななければならないの?」とたずねました。答えはこうでした。人間はその限られた人生を意味のあるものとするために、周りのすべてのものに役立つよう、自分が与えられるものを贈りものとして与えながら生きることが大切なのだと。

 その時、私はあるお医者さんが私にした質問を思い出しました。彼は、音楽家でなかったら何になりたいかと聞いたのです。私は答えました。「人を助け、もっと幸せにしてあげたい。たとえば医者となって人を健康にしてあげたい。」すると彼は言いました。「それなら医者より音楽家の方がずっと効果的です。音楽を人々にもたらすことは、彼らを癒すだけでなく、病気を予防することにも役立ちますから。」

 大切なことは、子どもたちに、どのように人生を組み立てるかだけでなく、いかにそれを楽しむかを教えることではないでしょうか。

 日本は、西洋文化を100年以上も前に積極的に受け入れました。今は反対に、ヨーロッパの人々が日本人の魂や考え方、誇りの感覚などを理解してくれることを願っています。私は日本が、とくにその文化的教育が、アジアをはじめ他の国々の将来への模範になると信じているのです。

  私をこの国に迎え入れてくださったことに感謝します。そして、日本から、また私の素晴らしい妻から頂いたすべてのものに対して、できる限りのお返しをしていくことをお約束いたします。

 どうもありがとうございました。


クルト・マズア氏プロフィール
1927年、シュレジエン地方ブリーク(現ポーランドのブジェク)生まれ。ライプツィ ヒ音楽院で学び、1948年から指揮活動を始める。旧東独各地のオーケストラの常任指 揮者を歴任した後、ヨーロッパ屈指の名門オーケストラ、ライプツィヒ・ゲヴァント ハウス管弦楽団の音楽監督を1970年から1996年まで務め、国際的な名声を確立した。 1991年にはニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団の音楽監督として招かれ(~2002年)、 現在は、ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団首席指揮者(2000年~)、フランス 国立管弦楽団音楽監督(2002年~)を務めるとともに、世界各国の主要オーケストラ に客演している。
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