寄稿
ミュージシャン
佐野 元春氏
静かなる哲学・・・・・
七十年代中盤。当時の立教大学キャンパスは、良く言えば穏やかだった。悪く言えば退屈だった。政治の季節を抜けて、闘争に暮れた兄の時代は、みんな牙を抜かれたウォンバットのようにそれぞれの巣へ戻っていった。引き剥がされた街路。壁にまき散らかされたペンキの跡。ウォンバットたちは自分たちがやったことの後始末もせずに、どこかへ行ってしまった。
何のために、誰のために闘っていたのか。あれから十数年後の現在。私たちが得たのかもしれない「自由」という名の腐った果実を見よ。こんな「自由」のために魂をすり減らすことなど時間の無駄だったのだ。しかし虚無を気取るにはエネルギーが余っていた自分。ウォンバット世代を尻目に、街に出て何かおもしろいことはないかとただ徘徊。上級生から手に入れたボロ車をチューン・アップして、スピードに狂う。
国内経済は高度成長の途上。どこに向かっているのかわからないまま、俺はいっそうアクセルを吹かしていた。街が徐々に華やいできた。おかげで女の子達がきれいに見えた。インポートのスカーフを巻いて俺に見せびらかす。でもまんざら悪い気分じゃない。ジーンズにサーフィンにビートル。俺はホウレン草を食べ過ぎて食あたりをおこしたポパイか、それともひからびたホットドックか。
人生にたった一度しかない季節。手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃、俺は「腐った果実」ではない本物の自由を満喫していた。そして静かに哲学した。
予感はあたっていた。卒業の日。すでに華やいだ雰囲気の中、式が執りおこなわれる講堂に向かった。俺は席についてまわりをゆっくりと見渡した。ちょっと待って、何か雰囲気が変。どうしてこんなに女子ばっかりいるんだ。俺は隣にいた女子に訊ねた。「君、何学部?」「私、文学部」。「俺、社会学部なんだけど、卒業式はどこでやってるの?」「社会学部なら午前中にもう終わったわよ」、「・・・・・」。ありがとう、立教。哲学するにはいい場所だったよ。
(1979年社会学部社会学科卒)


