寄稿
高等学校英語教諭
椿原 秀樹氏
我慢のゆくえ
先日30数年振りに出掛けたロックコンサートはABBA GOLDと題されたいわゆるTribute Show。しかし、私にとって、ステージで歌い踊っていたのはまるで当時のABBAそのもの。年甲斐もなく興奮してしまい、余韻は今なお消えず、それは、誰もが経験する"かつて聴いた音楽とあの頃のこと"を思い起こさせてくれるタイムリーなイベントとなった。
経済学部時代は住谷ゼミ(社会思想史)に3年間所属。住谷先生が燻らすパイプの香りとアカデミックな雰囲気のなかで毎週行われたゼミ、そしてゼミ後の先生を囲んでの恒例の夕食会は貴重な団欒の場となった。さらにまた、先生の留守中(先生は客員教授として1年間ウィーン大学へ)にお世話になった院生の小林さん(現経済学部長)には、同じ若者という点で親近感を抱いた一方、学問研究に対する直向きな姿勢と聡明さに終始圧倒され続けた。
さて、卒業前に一通り就活を経験してはみたが、納得が行く就職先には巡り会えず、結局、就職を断念。当時興味のあった英語をやり直そうと編入試験を経て文学部英米文学科3年への編入学を許可される。一時は諦めかけていた"憧れの教職"への道を明確に意識し始めたのはこの頃だった。英米文学科は同じキャンパスにありながら別世界。男女比が経済学部とは正反対。一種のCulture Shockを味わう。さらに、聖書やシェイクスピアの英語の理解には想像をはるかに超える苦労を経験した。いま振り返ると、教職の単位取得、採用試験準備、そして学費稼ぎのアルバイトに明け暮れる2年間だった。
教職について約30年。毎年春3月の卒業式は生徒同様、我々にとっても特別な場面だ。それは、3年の歳月を経て見違えるほどの成長を遂げて巣立ってゆく生徒を送り出す、まさに最後の感動的瞬間だからだ。職場の上司が先日の着任の挨拶で「教育とはロマンと我慢だ」と語った。残念ながら雑務が本務を浸食し続ける現状は我慢の連続で、かつての"憧れの職"も正直なところ、今や色あせつつあるのが事実だ。しかし、それでもなお魅力を持ち続けていられるのは、この職業が、未知の可能性を秘めて日々成長し続ける若者たちとの接触の場を、とくに授業という形で制度上保証してくれているからに他ならない。愚痴をこぼしてばかりはいられない。
1978年経済学部経済学科卒、1980年文学部英米文学科卒
(1980年文学部英米文学科卒)
-題字は本人直筆-


