寄稿
株式会社加賀屋会長
小田 禎彦氏
観光事業を学ぶ
私の学生生活は高度成長経済の昭和30年代である。人々は三種の神器(冷蔵庫・洗濯機・テレビ)購入を目指して働き、大学へも明確な目的を持って進学した時期である。
私も例外でなく、能登・和倉温泉の加賀屋の長男だが、旅館業に就くか否かを真剣に考えた。進路はお客様のもてなしを第一として働く両親の姿を再確認して決め、観光事業を学ぶ目的で進学した。
観光事業で有名なのは立教大学。それでも週一日、ホテル講座があるだけだったが、担当の大坪正教授は厳格で遅刻と居眠りを嫌い、学生と真剣に向かい合ってくれた。その先生がコーヒーの入れ方を時々講義、それが面白く、先生に大人の魅力を感じた。卒業後、旅館業に就いた私の理念はこの講座で学んだホテル王、スタットラーの「お客様の望むことをして差し上げなさい。望まぬことをしてはいけません」に帰着する。
旅館業に興味を持ったのは大学2年、3年の実習である。六甲山ホテルで140日間、ページボーイ、バーテンダーから電話交換手まで体験。1つのミスがホテル全体のイメージダウンになる恐ろしさも知った。1日の日当は230円だった。
大学の講義を実践するのが、研究会。私がホテル研究会に入った時は30人で「さかさくらげの研究か」と揶揄されたが、オリンピック開催が東京に決まって120人に急増した。この会の研究成果は多いが、会員が能登に宿泊して観光調査を実施、深夜まで議論して報告書「能登半島観光の将来」をまとめたことは忘れがたい。この調査で旅館の繁栄は地域と共にあり、手を携えて進む大切さを知ったことが、経営者としての指針になった。
思えば、大学4年間は観光産業一色だったが、友人との出会いで酒の味も都会のキャバレーのなんたるかも知った。また、JTBの専務だった父の影響で兼高かおるさんに憧れて研究会に入会した真弓と結婚。伴侶も得たから花も実もあったと言うべきか。
(1962年経済学部経営学科卒)
-題字は本人直筆-


