寄稿
日本テレビ放送網株式会社 報道局記者兼キャスター
町 亞聖氏
私の原点
1991年4月、立教大学の入学式。「母を大学の入学式に連れて行きたい」他の人にとっては当たり前の事かもしれないが、町家にとっては大きな冒険だった。何故なら私の母は私が高3の時にくも膜下出血で倒れ、一命は取り留めたものの言語障害と右半身マヒが残り車いすの生活になっていたからだ。今から16年も前のこと。バリアフリーという言葉もなく、世の中にはまだまだ様々な「障害」が溢れており、障害者用のトイレを探すのにも一苦労だった。そんな状況だったので大学に行くまでに車いす用のトイレがどこにあるかを調べ、事前に大学に連絡を入れ校内の下見もした。しかし残念ながら大学の講堂にはエレベーターがなく、会場に行くためには階段を上るしかない。しかしマヒした右半身が緊張で硬直してしまい一歩も前に進めない。見かねた大学のスタッフが手を差し伸べてくれ、4人がかりで母の車いすを持ち上げ上まで運んでくれたのだった。恐縮し、そして顔を隠して照れる母を励ますように「お姫様みたいだよ」と冗談を飛ばしたが、母のその姿は涙でにじんでいた。

共働きだった我が家は、母が倒れたことで経済的に苦しくなり、私が受験を断念し働きながら母の看護に当たった方が良いという親戚もいた。しかし家族が進学を後押ししてくれた。本当にあの時受験を諦めないで良かった。進学していなければ、小学校の頃から憧れていたアナウンサーになる事は不可能だっただろうし、心の余裕をもって弟妹の母親代わりを出来なかったかもしれない。大学4年間は学業と家事の両立で精一杯で、あっという間に過ぎてしまったが悔いは全くない。私のささやかな願いは「障害を背負った母に、生きていて幸せだったと思ってもらいたい」ということだけだった。残念ながら8年前に母は末期癌でこの世を去ったが、母の車いすを押して歩んだ10年間は私達家族にとってかけがえのない月日だった。人は1人で生きているのではなく多くの人に支えられ、そして支えて生きていく。身を持って母が教えてくれた沢山の大切な事を胸に刻み、生涯現役の伝え手として自分の言葉で伝えていきたい。
立教大学の門を母とくぐったあの日が私にとって全ての「原点」である。
(1995年文学部英米文学科卒)
-題字は本人直筆-


