(掲載日2011.07.27)
キリスト教教育研究所(JICE)、立教女学院短期大学 主催 公開講演会
| 日時 | 2011年7月6日(水)18:30~20:30 |
| 会場 | 池袋キャンパス 14号館D501教室 |
| 講演者 | 大藪 順子 氏 (フォトジャーナリスト) |
大藪 順子 氏
フォトジャーナリストとしてアメリカで活躍されており、自身も性的暴力サバイバーである大藪順子(おおやぶ・のぶこ)氏による講演会が、2011年7月6日(水)に行われた。自身の経験、他のサバイバーの方たちの素顔を撮った「写真」を用いて、性的暴力がもたらす被害の姿、凄惨さ、そして人の持つ可能性について語っていただいた。
また、7月6日(水)から8日(金)、立教学院諸聖徒礼拝堂(池袋キャンパス チャペル)にて、大藪順子写真展「STAND―性的暴力サバイバー達の素顔―」が開催された。
今回は、講演会と写真展に参加した本学学生2名によるレポートをご紹介します。
レポーター: 法学部法学科3年次、学生キリスト教団体 立教大学G.F.S.代表 横井 一剛
今回の講演会では、どのように被害に遭わされ、どのような経過をたどり、どのように立ち上って今に至ったかを大藪さん自身の経験を踏まえてお話しいただいた。
彼女は、アメリカでフォトジャーナリストの仕事をしている。いつものように仕事から帰り、アパートの自室で就寝している時に襲われた。助けを呼びたくとも声を出すことができなかった。殺されるかもしれないという恐怖から何も抵抗できなかったと語った。大声で助けを呼べばよかったのに。と一般的に認識されている傾向がある。しかし、自身の自由が奪われており、何をされるか分からない状態では何か行動を起こすことは難しかったとのこと。そこには、想像を絶するような恐怖感があるのだろう。
被害に遭わされた後、アパートの大家さんに助けをもとめ、警察を呼んでもらい病院へ行くことになった。病院での経験は辛いものであったが、その後の警察での事情聴取は、事件後すぐにではなく、少し落ち着いてから、弁護士・刑事・カウンセラー・看護師などが一同に集まってくれ、一度に話を聞いてくれた点は、とても助かったと大藪さんは述べていた。そして被害後しばらくは家に帰れず、カウンセラーの友人と共に生活していた。それでも大藪さんは、「被害を受けた人の中でも私は回復が早かった方ではないかと思う」と語った。被害を受けた後、いかに周りがどのように反応し対応するかで、サバイバ―のその後の人生に、大きな影響があるかが分かったように思えた。
自身の経験談の後、他のサバイバーの方の素顔を撮った写真を用いながらお話しいただいた。女性だけでなく、男性もいた。また、子どもに対する被害の話もあった。加害者はさまざまであり、見知らぬ人による被害もあったが、肉親、恋人などの顔見知りは全体の85%にも及ぶという。中でも一番驚いたのが、加害者の中に教会の牧師がいるということだ。人々の心の迷いや不安を除く場所であるはずの教会で、このような事件が起きているとは、本当にショックなことである。それと同時に、どこにでも誰にでも起こり得るものなのだとも感じた。また、笑顔の写真の中にもどことなく辛さを感じた。しかし、すべての写真に力強さを感じた。大藪さんを含め、話に登場した人たちは性的暴力を受けた後の絶望から立ち上がり、自分の足で歩いている人たちであることが伝わってきた。
今回の講演会で、性的暴力がどれほどまでに被害者の心に傷をつけてしまうものなのかを少し感じることができた。また、自分が絶対に被害者にならないと言い切ることはできないということもよく分かり、誰でもが被害を受ける可能性があるのだと改めて思った。
どんな時でも、自分の足で再び立ち上がれるような、そしてその長いプロセスを周りの人がサポートしていけるような社会をつくっていきたいものである。
レポーター: 文学部文学科3年次 土方 真知
チャペルに並ぶ写真を一目見ただけでは、この写真展の意図を理解することはできなかったかもしれない。今回開催された本写真展の被写体となっている人々は、人種や性別、年齢もまちまちで、表情も曇っていたり明るかったりとさまざまである。そんな彼・彼女らの共通項―それが、「性的暴力被害」であることを知ったとき、それらの写真は全く違った印象を人々に与えたことだろう。
恥ずかしながら私はこれまで、自分の身近なものとして「性的暴力」を考えたことがなかった。どこか他人事のような、遠いところで起こっていることのような、漠然とした印象を持っていた。しかし、サバイバーの方々の姿を写真を通して見たとき、そこに居たのは何も特別な人ではなかった。人種や性別、年齢の違いはあるけれど、彼らは私たちと同じように生きている生身の生活者であった。その彼らの身の上に起こった被害の重さを、私が彼らと同じように感じることはできない。写真の中の彼らを見つめて、ただ自分の心に問い返すことしかできない。私の周りに、本当に「性的暴力」はなかったのか、と。
今回、写真展の受付をしていたときに、印象に残る出来事があった。学校見学に来校した高校生の集団が、チャペルの入り口からこちらを見ていた。「写真展をやっているのでよかったらどうぞ」と声をかけると、高校生たちはおずおずとチャペルに足を踏み入れた。このような場所に入ったのは初めてなのかもしれない。チャペルのステンドグラスやオルガンに目を奪われていた彼女らが、そこに飾られた写真に興味を示す様子は見られなかった。私は業務に戻り、本当の意味での来場者を待っていた。だがしばらく経って、ふと視線を高校生たちの方へと向けると、そのうちの何人かがじっと写真を見つめていた。しっかりと説明書きも読み、一枚一枚の写真をじっくり見ていることが遠目にもよく分かった。そして最初の数人に続き、今まで座って聖壇を眺めているだけだったその仲間たちも、一人また一人と席を立って、写真を近くで鑑賞し始めた。彼女らの胸にどんな思いが去来していたのかは分からない。しかし、写真に向けられる真剣な眼差しは、彼女らの胸の内に大きな問いが生まれていたことを物語っていた。その問いがいつかどこかで彼女たちの心にふとよみがえったとき、大藪さんの大きな仕事は実を結ぶのだろう。
“「性的暴力」は他人事ではない。”という言葉に、他人事ではいられなくなった。そんな経験をもたらしてくれた写真展であった。