(掲載日2007.10.16)
レポーター : 異文化コミュニケーション研究科2年次 村松 麻里
内山先生
色眼鏡をはずして考えること、生きることで世界はこんなにも深く味わえるんだ!日常生活の中に埋没していた面白いことって、こんなにもあるんだ!・・・講義の度に、新鮮な発見や驚きに出会える。社会システム論は、そんな授業だ。
前期はウェバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」、後期は日本人の自然信仰をテーマに親鸞の「歎異抄」や和辻哲郎の「風土」など、多岐に渡る課題図書と奮闘しながら、学生たちは毎週真剣な目をして講義に臨んでいる。授業では学生にも発言の機会が与えられる。学生達の疑問や感想にひとつひとつ丁寧に応じながら、古今東西の歴史や思想などの例を巧みに交え、先生のお話がさらにテーマを深め、ひとつの大きな流れを作り出していく。
授業風景
この日の授業は「歎異抄」。
悪人正機説や他力で知られるが、「悪人」とはどのような人間を指すのか。専門家の解釈は様々だが、そもそも本当に追いつめられた時、人はどこまで善人でいられるのか。講義は、やがて、「知」による説明を越えたところにある神や自然を、古来何の疑いもなく信仰し、敬ってきた日本人の心へとトピックを展開していく。宗派や神仏の区別なく山や森に息づく神。そこにお堂があればつい拝んでしまう日本人の心。その背景にあるのは、無や空とつながる自然信仰であると言う。
こうなると学生からも次々と質問がでる。キリスト教と比較するとどうか。民衆の心に信仰が根付いていたのなら、なぜ今、“葬式仏教”が成立し、宗派・教条が入り乱れているのか、など。
あっという間に過ぎてしまった90分に後ろ髪を引かれつつ、翌週の授業を楽しみにしながら、毎週私たちは教室を後にする。
| 取材日 | 2007年10月16日(火)6限 (18:30~20:00) |
| 教室 | 池袋キャンパス 7号館7202教室 |
■講義概要
ヨーロッパに生まれた哲学や日本思想などの古典精読をとおして,現代世界をつくりだした「近代思想」とは何かを批判的に考察する。また西洋哲学と東洋思想の違いについてふれながら,現代哲学がなぜ東洋的な発想を取り込もうとしているのかを考えていく。
今日の私たちは,古典にさかのぼって思考することが苦手になってきている。それが思考の幅を狭めるという結果を招いているが,本講義では,古典と対話し,歴史と対話しながら,哲学的,あるいは思想的な思考方法を身につけることをめざす。
デカルトやパスカル,ダランベールなどによって近代哲学として確立された人間中心主義,理性中心主義は,どのような世界をつくっていったのか。20世紀の哲学は,なぜそれらを批判し,合理的な発想だけではとらえられないものを大事にするようになっていったのか。それらのことを考えながら,これからの社会システムと多元的世界のあり方を検討していく。
講 議 計 画
古典精読をとおして,次のことを考察する。
1.近代思想とは何か
(1)人間中心主義とそこから生まれた自然観について
(2)近代的個人の形成と市民社会の成立について
(3)国民国家とは何か
(4)個人の社会と資本制市場経済との関係について
2. 19世紀ロマン派の思想傾向について
(1)近代社会への挫折感の表明と自然回帰思想について
(2)東洋思想,非合理性の評価について
(3)初期社会主義思想と虚無思想について
3.日本の伝統思想について
(1)日本的な自然観と死生観について
(2)日本的な個と共同体の関係について
(3)日本的な認識論について
4. 20世紀の思想傾向について
(1)シュール・リアリズム運動と理性批判について
(2)民衆史への視点とアナール派の歴史社会学の成立について
(3)人類学の深化と文化の平等性の確認について
(4)身体へのまなざしについて
(5)関係性の理論のひろがりと,近代的主体概念への懐疑について
5.現代世界への思想的視座について
(1)環境問題の登場がもたらしたもの
(2)世界システム論とローカル主義の対立