昨年12月26日に発生したスマトラ沖地震。立教大学でもボランティアセンターが中心となって、募金活動などを行いました。今回は、復興援助のために何か出来ないかと、自ら行動を起こした2人の学生に、実際の活動の様子や、感じたことを書いていただきました。(文責:山口典子)
カオラック
スマトラ沖地震によって起きた津波によって、一瞬で全てを失ってしまった人たちのことを毎日考えていました。何かしたいと思っていた矢先に「タイで一番の被害を受けた町カオラックが、支援が見過ごされている状況らしい。現地には個人ボランティアを受け入れているセンターがあるらしい。」と友人から聞かされ、私はすぐに現地でボランティア活動をすることに決めました。
2キロ以上流された船
友人の中村君とと二人でタイ南部の町カオラックに向かいました。津波によって完全に打ちのめされたビーチには瓦礫が散乱し、まるで世界の終焉の一部を切り取って持ってきたように異様な光景でした。幸せそうな顔をした女の子の卒業写真、首のもげたウサギのぬいぐるみ、ちいさな赤ちゃんの靴、そのどれもが持ち主をなくし、砂にまみれ、ぐしゃぐしゃになり、無情に放り出されているのを見るたびに、胸が刺されるような思いがしました。死臭のする場所では無心に掘り続けました。体が硬直する。呼吸がうまくできない。絶対に起こってはいけないことが起こった、そんなふうに感じました。
ボランティアのスタッフ
現地にあるボランティアセンターには世界中から欧米人を中心に140人ほどが集まっていて、それぞれができることを和気あいあいとやっていました。学校に寄付する家具を作る活動、仮設住宅を建設する活動、植林などがあり、活動は毎日選べますが、私たちはビーチで瓦礫撤去作業をしました。35度の炎天下での肉体労働はみるみる体力を奪い、一日の疲労は激しいものでした。しかしタイ人をモチベートすることが作業の主な目的にも関わらず、タイ人は誰も私たちを見ていませんでした。
朝のミーティングでアメリカ人たちが「では避難民キャンプに行ってお金を見せてビーチで働くように勧めればいい」と言い出し、実行し始めました。私はボランティアで一番怖いのは、「支える」ではなく「助けてあげる」になってしまうことだと思っています。タイの人たちが本当に必要としていることを聞いて、それを手伝うのがセンターの理想だとは言っていても、気を抜くとそれは押し付けになってしまう恐れがあります。海を見るのも嫌なほど心に深いトラウマを負った人たちの気持ちを考えようともしない意見に私は憤慨し、残された時間をプロジェクトの方向を正すことに力を尽くす結果となってしまいました。しかしそれが一番大事なことだと思ったのです。
ホテルの客室跡
今は観光客が来ないことが一番つらいとカオラックの人は話します。賑やかだったというメインストリートには歩いている人が殆どいません。
「私は津波で親戚と友達20人を亡くしたわ。」ある女性が笑顔で話す・・。一瞬で身近な人を20人も亡くしてたった2ヵ月後に、私はこんなふうに笑えない。しかしタイの人たちには、このような私の想像を超えた精神がありました。私はそれを何度も見せ付けられました。カオラックの町も人も、心に染み入ってくるような温かさを持っています。私は辛いときに何度も彼らの温かい優しさに助けられました。目の前の現実を静かに受け入れて、また頑張ろうとする彼らのけなげさ、打たれ強さ、彼らのそんなひたむきな姿を見て誰一人、応援したい気持ちが高まるのを抑えることが出来ないでしょう。私はカオラックの人たちの姿を見て、多くを学ばせてもらいました。
地元の女性と(左:中村さん/右:山口さん)
バンコクに戻ってからボランティア呼びかけのチラシを作成し、140枚程レストランやホテルに貼り、帰国してからもアクセスしてくる観光客に対応しています。また現地のセンターで出会った学生と共に、大学での写真展示会やボランティアの呼びかけ、パンフレットの配布などをしましたが、この活動は「津波」という言葉がまだ敏感に捉えられるうちになるべくたくさんしていきたいと思っています。一番怖いのは忘れてしまうこと。センターも最低でもあと1年は続きます。メディアに左右されず、現地でも同じ時間が流れているということを忘れずに、日本からでもできることをできる限りしていきたいと思います。