全く異なる研究テーマ(異文化コミュニケーション領域)で入学した大学院生が、何がきっかけとなって環境に関心を抱くようになり、どのようにしてインタープリター(自然ガイド)をテーマにした修士論文を執筆するに至ったのかを、指導教授との対談形式で語っていただきました。
瀬田:君の修士論文が昨今期待されている国立公園のインタープリター養成に一石を投じることができるかどうかは分からないが、大学卒業までは自然に無関心だった君が突如入学時の論文構想の内容を変更してしまい、僕が指導教官になった。転向した動機は。
小川:大学院受験時に提出する修士論文のテーマは「クリントン大統領と小泉首相の演説の比較」だったのです。大学の専攻は英文学でしたので、横文字ばかり読んでいました。ですからこの修士論文題目を聞いた学部時代の先生や友人は、皆その方向の変わりように驚いたというか、あきれていました。
瀬田:僕の講義「環境文化特論」も履修していなかった。
小川さん
小川:選択科目の環境コミュニケーション分野は未知の世界でした。その環境へ宗旨替えしたのは上高地でのワークショップがきっかけでした。上高地では元レンジャーでナチュラリストの百武さんに案内してもらったり、自然の中で作業めいたことをしました。夜は、暗黒のなかに一人ずつ置いてきぼりにされ耳を研ぎ澄ます。宿舎に戻ってからは暖炉のまわりで百武さんの本を輪番で朗読し、スライドの講義も受けました。その講義の中で、昼間の案内・解説活動がインタープリテーションと呼ばれるもので、公園の資源を守ったり自然の見方や楽しみ方を伝えることが目的だと知りました。
瀬田:声を出して読むエッセイを皆で聞くというのは、文章を目で追うのと違ってとても新鮮だった。当の百武さんも初めての経験だったらしく驚いていたね。あれが転機になってストーリーテーリングを論文テーマにする院生も現れた。
小川:高校の時には河童橋を渡って、河原で石を投げて、という数時間の滞在で十分だと思ったのに、今回は4日も同じ場所にいて、しかも毎日毎日まだまだやること、感じることが一杯あると思いました。百武さんと一緒に歩くことで、今までは気付かなかった自然からのメッセージを受け取ることができました。インタープリターのおかげで自然の中を素通りしてきた今までとは違い、自然の中での過ごし方に意欲的な自分を見つけました。
それまでは環境教育というと、地球環境がどれだけ暗い状況にあるのかを語り諭す教育というイメージで、考えるだけで暗くなる。それなら無知を決め込んだほうがいいと思って、関わらないように心がけてきました。
でも上高地では楽しく、身構えることなく自然について学び考えることができました。自分が本心から楽しめたからこそ、インタープリテーションに興味を持ちました。
瀬田:夏休みの西表島行きも転向のきっかけになったのでは。
小川:同級生と訪れた西表では、夜に台風の中を歩いてとてもこわかったことが忘れられません。とにかく予期もしない自然に圧倒されました。翌春の再訪ではレンジャーもどきの友人の紹介で田植えをさせてもらい、夜はおじぃの唄や話を聴かせてもらいました。歌詞は全く分からなかったけれど、自然に寄り添ってきた生活に端を発する唄や話には心が打たれて、涙が出てきて島の人の文化やその源にある自然を傷つけてはいけないと思いました。
島人とのふれあいを通して感じたことは、いまの私たちには自然とは異文化的存在だと考えがちです。その現代人と自然の間を繋ぐインタープリテーションのあり方を異文化コミュニケーション論から考えてみようと思いました。
屋久島でのインタープリター
瀬田:自然への関心の薄かった君の修士論文を1年間指導することになったが、僕自身修士論文を書いた経験もないから、その方面の人たちに聞いてまわった。どうやら修士論文というのは、先行研究とかいって既に論じられている文献・論文を読み、その上で仮説を立てて検証する。検証にはアンケートや、参与観察とかいう聞いたこともなかった方法も使う。そうして今までに述べられていないような説というか見解を紙一枚付け加えるのだということが分かった。君も大部の資料を読んだし、英文学科だったので海外の文献にもあたっていたね。僕の友人は君の論文を見て、こんなに文献にあたらなければ論文って書けないのか、とあきれていたね。
小川:住まいが立教大学観光学部のある新座に近かったので大学の図書館通いができました。それに相談に乗ってくれる観光の院生もいたし。国立公園協会でも資料を見させてもらいました。でも文字から伝わる自然なんて本物ではない気がして、なるべく本物の自然を知り、そこを舞台に活躍している人たちの考えを聞こうと思いました。
瀬田:それでは本論に入ろうか。
むかし自然環境保全審議会で「自然公園の利用のあり方」について審議された。その施策の基本方向で「国民に語りかける自然公園」が提案され「自然を舞台としての人と人の交流は今後の社会における重要なテーマであり、公園利用者へのインタープリテーションに当る人材の強化を図っていく必要がある。」と述べられている。アメリカの国立公園ではパークレンジャーなどが公園利用者にインタープリテーション活動をすることが常識になっている。日本ではどうなっているのかが、君の研究の入り口だったね。
小川:自然体験が少ない私は、インタープリテーションに参加することで、自然の中での楽しみ方を知り興味を持ったのですが、実はインタープリテーションはあまり定着していない印象を持ちました。
インタープリテーションが定着しない理由として、質的・量的な人材不足、情報提供不足、財源不足、マニュアルやプログラムの欠如が広く指摘されています。そのことを否定はしませんが、自然案内・解説をビジターに呼びかけても参加申し込みがゼロのこともあると上高地で聞きました。人材がいて、財源があっても、肝心の参加者が集まらなければインタープリテーションは定着しようがない。その原因は参加者の関心不足にあるように感じました。そこで参加者を魅了するインタープリテーションとはどんなものかを探ることにしました。
ただ私自身は自然体験もなく、人に自然を伝える技もないので、参加者の立場からインタープリテーションについて考えることにしました。幸い上高地や屋久島では魅力的なインタープリターに出会っていたので、彼らにインタビューして彼らのもつ魅力を探ることにしました。
瀬田:「参加者を魅了するインタープリテーションとは何か」だが、昔は自然解説と言って植物の名前や形態にこだわっていた。僕は名前を覚えることは大切なことだと思うけれど、そればかり教えていては楽しくないという反発が強い。では面白ければ良いか、笑って頷いて、帰ってみたら何も印象に残っていない、というのもどこか違うね。自分で歩いて、疑問を感じて調べて納得したものを自信をもってビジターに伝えるのと、解説マニュアルで覚えたことを語っているのでは深みが違うしね。僕らが自然の中での環境教育を定着させたいと環境教育フォーラムをスタートさせたのは、インタープリターが現地でプロとして成り立つことを目指した。エコツアーの要だからね。
屋久島でのインタープリター
小川:インタープリテーションには、自然・インタープリター・参加者の3者のコミュニケーションがあることを検証しようとしました。その定着のためにマニュアルが必要だとする先行研究は多い。各地のテキストやマニュアルも当ってみました。しかしインタープリテーションの原点はコミュニケーションにあり、これはマニュアルによって究めることは出来ないという仮説を立て、9人のインタープリターへの聞き取り調査により仮説を検証しました。
調査から多くのインタープリターが、
1)インタープリターとは自然が発するメッセージを直に受け取る素養がいる
2)活動を参加者の興味や関心に応じたものとするためのコミュニケーションを意識する
3)最終的には参加者が自然と直接コミュニケーションを取れるようにすることを心がけている
ことが分りました。
このことから、インタープリテーションには、自然とインタープリター、インタープリターと参加者、参加者と自然の3つのコミュニケーションがあることが確認できました。
また、多くのインタープリターはマニュアル通りにその日の活動をこなすのではなく、参加者の反応やその時々の自然の状況によってインタープリテーションの内容を臨機応変に変更し、その柔軟な対応が参加者の満足度を高めていると感じていることも分かりました。つまり、自然、インタープリター、参加者3者のコミュニケーションを通じてインタープリテーションをより魅力的なものにしようと心がけているのです。人材育成などでインタープリテーションの一定のレベルを確保するためのマニュアルは必要ですが、それだけでは参加者を魅了できないということです。
瀬田:マニュアルには限界があるのは当たり前で、そんな仮説は不要だと口頭試問で指摘されたね。僕もマニュアルよりも優れた先輩や先人について行って知識や技を習得するほうが1人前のインタープリターになる近道だと言ったことがある。芸は盗めと言うようにね。
小川:インタープリターと自然とのコミュニケーションでは、インタープリターは語らずとも語る自然からメッセージを感得している。これには、知性・感性・経験が必要なのです。また、生きていく上で、自然とのコミュニケーションというか自然への知識を欠かせない人々がいる。マタギや、離島の生活者などがそうです。西表で島の人の話を聴いたとき、自然の仕組みを科学として把握するというより、自然の中にある生きものとしての人というつながりを強く感じました。
白神山地には行ったことはないのですが調査報告書から学んだことは、マタギは自然を十分に知らないと生死に関わるし、生活全体に影響が及んでくるのだから自然を熟知せざるを得ない。資源を枯渇させないための循環の掟や技能を経験から得ている。それを、自然を観察するという「眺めるための知識・技能」に対比させて「かかわるための知識・技能」と表現している文献は論を進める上で役立ちました。
彼らの「かかわるための知識・技能」から、循環型社会のルールや共生型社会の方策を学ぶことが出来ます。それなら島の古老やマタギは魅力的なインタープリターではないだろうかと思いました。
ヒアリングでは参加者は一般的にインタープリテーション活動に積極性がないと語っていました。まして島の古老やマタギは人に伝えることが職業ではないし、伝え方も地味だから都会風なウケも心得ていない。その様な訪問者や参加者に活動に参加して何かを学び取ろうという積極性を持たせるかどうかが、インタープリテーション成立の鍵となるのではないでしょうか。
そして、参加者と自然とのコミュニケーションでは、自然と直接向かい合うことにより、インタープリターが開いてくれた自然の扉に、参加者が文明の衣を脱いで歩み寄ることが求められているのでは。人間の側から自然へ歩み寄ることが自然とのコミュニケーションを成立させ、インタープリテーションを奥深いものとする。そして、この姿勢を参加者とインタープリターの双方が果たし得たとき、この3つのコミュニケーションが融合し、参加者・自然・インタープリターの一体感が生まれ、参加者を魅了すると考えます。
瀬田:本居宣長は「もののあわれをしる」ことと「もののあわれを感ずる」ことが日本人の感受性の特色だと言っている。物や事にも心があり、それが我々の心と共感して一体化していくことが「もののあわれ」なんだという。アメリカの国立公園のインタープリテーションとの違いをそんなところに見出すことが大切かもしれないね。 (国立公園協会「国立公園」6月号 掲載)