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概要

20150714rikkyo

学問とは本来、学び問うことであり、自分の経験をふまえて他人の経験を聞き、互いに語り合うことだと思うのだが、科学や教科書の中にすでに普遍的な正解があるものと勝手に想定する傾向が支配的になり、インターネットに正解を求める風潮が強まっているのは嘆かわしい。これは教室的精神性とでも呼ぶべきで、大学での受講態度にそぐわない。どこかにあるはずの正解に支配されることは過去の歴史に支配されることである。それでは、私たちが歴史をつくることさえできなくなってしまう。どこかにあるはずの正解に支配され、自分の感覚や経験に自信をもてない。自らの言葉で問題提起する気概をもつ人々が減り、既存科学が支配する世界が到来するとしたら、過去の歴史に支配され、人々の感性をひからびさせ、豊かな未来を奪っていくことにならないだろうか。現代をよく知りたいという現代人の関心によって過去が再解釈されるのが歴史である。現代が未来を生み出すものだとすれば、未来に向けて取り組む人間の態度は過去の解釈、すなわち歴史と一体不可分だろう。未来へ向けた社会選択は必然的に過去の再解釈をともなう。今の解釈を拒否したいのなら、主流派経済学のあり方やその認識のあり方に立ち向かっていかなければならないこともあるだろう。そうでなければ、政策転換などできない。過去の経済学と向き合い、再解釈を行わなければ、パラダイム転換などありえない。失業問題を労働市場の機能不全としかとらえられない当時の主流派に反旗を翻したのがケインズだった。古典派理論の諸公準が特殊ケースにのみ当てはまり、一般的でないことを示したのだ。マーシャリアン・クロスは何も説明していない。労使交渉で決まる賃金は名目賃金である。ものわかりのよい労働組合が経済理論の言うとおり、賃金切下げを容認したとしよう。ところがこれで失業問題は解決しない。製品原価には賃金が含まれる。したがって、供給曲線にも需要曲線にも影響が及び、製品の価格は下がり、おそらくは需要も減少してしまう。雇用水準を決めるのは、別の理屈、すなわち有効需要の原理でなければならないというのである。だが、他方でケインズには、有効需要不足の理由について、歴史的にも理論的にも、じゅうぶんな解明をしたとはいえないという弱点がある。この点は致命的であって、高度成長によってケインズ理論は打撃を受けることになる。とはいえ、ケインズ自身はこの弱点に気づいていたようにも見える。優生学協会における1937 年の、埋もれた講演録には、有効需要の減少が人口減少の傾向によるという指摘があって興味深い。企業による設備投資こそが有効需要を拡大させるが、それは本来、過剰資本に転化する危険をあわせもち、その危険の中で資本は蓄積されている。したがって自由主義市場経済は、人口の増加とそれに基づく楽観的将来期待が投資家に設備投資を促さなければ、成り立たない。果たして、人口減少の下で自由主義市場経済は、どのような運命をたどるのだろうか。ケインズは、この点を究明しようとしたとき、心臓病に倒れてしまう。その後、病気をおして、戦費の調達と戦後体制の構築という喫緊のテーマに取り組んだのは、イギリスへの愛国心と責任感からだった。こうして、人口減少の下での自由主義市場経済のゆくえという重要なテーマは棚上げされたままとなった。政策の現場と、大学での教育の場で、日本型雇用の真実を探るための真摯な取り組みと苦闘とを、じっくりと語っていただいた。最後に、聴衆に発せられたメッセージは2 つ。5