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概要

20150714rikkyo

そういう形でずっと続くような、その第一歩みたいな議論なのですね。シュモラーは当時のヨーロッパのさまざまな小営業を実地調査しまして、例えば、高級品ですとか手仕事みたいなものがまだまだ生き残っているような分野をたくさん指摘しております。それから、イギリスの産業革命の中心になったバーミンガムの鉄鋼業などでも、実際は中小経営がものすごく多いわけですよね。そういうことを指摘しまして、中小企業分野でいわば市場経済の中に参入して生き残れるところがたくさんあるということを強調しております。後に、法政大学の総長をされた清成忠男先生は、ベンチャービジネスという言葉をはやらせたお一人ですけれども、先生は法政大学の経営学部にいらっしゃる前に、中小企業金融公庫の調査部におられて、ドイツの中小企業問題をやっていたわけです。先生は私の論文を「ドイツ資本主義研究会」で褒めてくださいまして、1985 年に法政大学経営学部に来ないかとお誘いを受けました。ところが、そのときに私は札幌で家を建てていたのですね。ちょうど骨組みができあがったところで、やはりこれは今やめるわけにはいかないので、大変ありがたいお話ですけれども、ご勘弁くださいとお断りをしたら、その話を聞いていた人がいまして、駿河台大学の鎗田英三さんですが、鎗田さんが北星学園大学というのは、そんなに研究条件がいいところなのかと、後で言われたことを覚えております。この1985 年に出版した『ドイツの経済政策思想史研究』の端書きで、私はこういうふうに書きました。少し長いのですが引用します。「私の研究途上において、こうした通説的な見解に対する疑問が次第に醸成されてきた。後発国ドイツの経済学の課題が、何よりもイギリス資本主義の世界的展開に対抗すべきドイツ国民経済の展開にあったとするならば、こうした課題に歴史学派がそのように対応したかが問われなければならないだろう。そのためには、方法論的断罪や、イデオロギー批判ではなく、個々の具体的な政策課題に対する時論的な研究、政策的提言、あるいは歴史的研究の分析を通して初めてドイツ歴史学派の意義と限界が評価され、リストからヴェーバーへの継受の内容が明らかになるのだというふうに思われる」。これが私の問題意識でございました。その後、先ほど言いましたように、1985 年から次々にいろいろな論文集の企画がございました。最初は1985 年に住谷一彦先生の還暦記念で、『ドイツ国民経済の史的研究:フリードリヒ・リストからマックス・ヴェーバーへ』(御茶の水書房)です。住谷先生と小林純さん、私と3 人で編集しました。この本に私は「シュモラーの農政論」について寄稿しました。その後、1987 年から88 年にかけて北星学園大学から在外研究の許可をいただきテュービンゲン大学のK・E・ボルン教授に受け入れてもらいました。ボルン先生は『ビスマルク後の国家と社会政策』という本を書いた大変有名な方なのですが、そこで約10カ月研究させていただきました。ボルン先生を紹介してくださったのは、東京大学の松田智雄先生です。ドイツに行って初めてわかったのですが、1988 年にシュモラー生誕150周年という企画がございまして、私はそんな企画があるなんて知らなかったのですね。日本ではシュモラーのことを誰もやっていませんでしたし、歴史学派に対する関心もありませんでしたから。ところが、この88 年ぐらいから、ドイツの歴史学派に対する関心が欧米で非常に高まっているということがわかりました。私は在学研究から88 年3 月に帰ってこなければならなかったので、この主催者の一人であるフリードリヒ・テンブルック先43