表紙 立教大学 公開講演会 「社会に出るのは怖いこと?-聴覚にしょうがいのあるマネージャーの視点から-」 日時 2012年7月7日(土)13:30~15:00 会場 新座キャンパス 6号館3階 ロフト2教室 N636 講師 日下部 隆則 氏(同志社大学卒 富士ゼロックスサービスクリエイティブ株式会社勤務) 主催 しょうがい学生支援室 共催 キャリアセンター 情報保障 学生スタッフによる手話通訳・パソコンテイク この講演会は、司会・受付・誘導・移動サポートなど学生スタッフを中心に運営しました。 P1 司会/ 今日の講演会の司会を担当させていただきます、立教大学Aと申します。同じく、司会を担当させていただきます、Bと申します。よろしくお願い致します。<拍手> ■講演会のサポート体制 ●写真 司会Bの学生が、パソコンテイクのスクリーンの前に立って手話で司会をしている。 司会/ サポート体制の説明に移りたいと思います。参加者の皆様、本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。講演会に移らせていただく前に、みなさまにご理解いただきたい点がございます。この講演会は聴覚にしょうがいを持つ方や車いすの方がいらっしゃるため、立教大学の学生がサポートを行っております。手話・音声通訳、またはパソコンテイクなど、準備をしております。また、この教室のドアが重く、通路も狭いため、車いすの方が困っているようでしたら、皆様のご協力をお願い申し上げます。では、講演会に先立ちまして、しょうがい学生支援室の原さんからご挨拶をお願い致します。よろしくお願い致します。 原/ 皆さん、こんにちは。しょうがい学生支援室の原と申します。開会にあたり、一言ご挨拶をさせていただきます。  本日は土曜日の午後にも関わらず、このような多数の方々にお集まりいただけましたこと、感謝申し上げます。本学の学生だけではなく多くの方々にご来場いただけました事は、企画運営側としては大きな喜びです。 さて、本日は立教大学しょうがい学生支援室主催、キャリアセンター共催のもと、「社会に出るのは怖いこと?‐聴覚にしょうがいのあるマネージャーの視点から‐」と題しまして、講師に富士ゼロックスサービスクリエイティブ株式会社から日下部隆則(くさかべたかのり)氏をお迎えし、ご講演をお願い致しております。ご自身の実社会でのご経験を踏まえて、「働く」ということに対しての事例や心構え等、貴重なお話を伺える、そして新たな気づきをいただける内容であろうと、楽しみにしております。  なお、既にお気づきの方も多いかと思いますが、今回の講演会には多くの学生が運営・進行に携わっております。学生の皆さんにも、一緒に講演会を作り上げていただきましたこと、この場を借りて感謝致します。万一、運営上至らない点がありましたら、ご容赦いただければと思います。  この講演会が、有意義なものになりますことを祈念致しまして、開会の挨拶にかえさせていただきます。<拍手> ●写真 スクリーンの前に、開会の挨拶をする原氏と、その左に手話通訳の学生が立っている。背後のスクリーンは、左側に講演のスライド、右側はパソコンテイク。 司会B/ 次は講師の紹介に移りたいと思います。Aくんよろしくお願いします。 司会A/ 続きまして私から今日の講師をご紹介させていただきます。  今日の講師の日下部さんは、小学校高学年から聴力を次第に失い、中途失聴者の立場にいらっしゃいます。また、同志社大学をご卒業され、現在は富士ゼロックスクリエイティブ株式会社の管理職として勤務されていらっしゃいます。また、聴覚にしょうがいのある社会人学生として大学院で支援を受けながら学ばれたご経験もあります。 P2  私も含めて皆さんの中には社会に出ることは怖いことなのではないか、という漠然としたイメージをお持ちの方が多いのではないでしょうか。今日のご講演の中で日下部さんの経験やお感じになってきたことから、働くことへのヒントを得られたら、と思っています。では、講演会の方に移らせていただきたいと思います。日下部さん、よろしくお願い致します。 ●写真 司会Aの学生が、パソコンテイクのスクリーンの前に立って手話で司会をしている。 日下部/ はじめまして、日下部です。よろしくお願い致します。<拍手>  今日は「社会に出るのは怖いこと?‐聴覚しょうがいのあるマネージャーの視点から‐」という形でお話をさせて頂きます。ここで、私と手話通訳の方の2人が立って話してしまうと手話通訳とかぶってしまいますので、私は座らせていただいて、手話の方に目立ってもらいたいと思います。いえ、私が決して楽をしようとしたわけではありません(笑)。  今日はですね、私のこれまでの経験をお伝えし、社会を怖がらなくてもいいよ、そんなお話をさせていただけたらと思います。実は年をとって初めてわかることの一つに、精神年齢は若い時とあんまり変わらないなあ、そういうことがあります。先日も、会社の上司とお酒を飲んでた時にこんな話になりました。その上司の今の精神年齢は17歳だそうで、今55、6、7、もうすぐ還暦かというくらいの方なんですけども、17歳からあまり精神年齢は変わっていないと。つまり、成長していないというわけではなくて、ある程度の年になると人には肩書きがつきますけど、どうぞ、肩書きにこだわらずに、惑わされずに、人としての本質に目を向けて人と接してほしいなと思います。  今日は京都から新幹線でやってきました。新幹線が名古屋に停まったときに、今年のゴールデンウィークに名古屋に遊びに行った時のことを思い出しました。名古屋では、ホテルにツインルームを2部屋予約しました。しかし、予約された部屋はダブルが2部屋でした。男同士でダブルに泊まるわけにはいきません。完全にホテル側のブッキングミスです。そこでホテル側はどうしたか。支配人がひたすら平身低頭謝って、そのホテルは名古屋の一流ホテルだったんですけれども、そうした一流のホテルがどのような対応するのかなと、友人の奥さんに交渉を任せて、私は横でその交渉を見守っていました。結果としてはホテル側がスイートルーム、そういうものを用意してくれました。その話を会社に戻ってした時に、日下部さんが「なにやっとんのや」と関西弁でまくしたてたんでしょ?つまり、私がホテル側を脅したのではないかと。いやいや、私はそんなことはしません(笑)。交渉してくれる友人の奥さんの横で、ただその交渉を見守っていました。交渉の過程はわかりません。聞こえませんから。ただ聞こえないことは向こう側にはわかっていません。そうすると、おそらくですけれど、すごく怖い人が隣でただ言葉を発せずに見てたんだろうと、そうホテルの人が思ったのではないかと。それで慌てて、この人を怒らせたら大変なことになる。それでスイートルームが出てきたのではないか。そんなことを冗談でいわれましたけど、決して私はそういうタイプではございません(笑)。  これから、人を知る、自分のことをわかってもらう、そうした話をこれからする中で、今日の社会に出ることは怖いことではない、そういう話にもっていきたいなと思います。  今日はこのようにパワーポイントに話の要点を列挙する形で資料を用意してきました。これは経済学者の佐和先生、京都大学の先生だった方なんですけども、その先生に学びました。先生との面識はありませんが、 P3  6年前に先生の講演に行った時にこのような形で発表されていた。まさに「目から鱗」。その時のテーマは「グローバルスタンダード」、門外漢の私にもよくわかる話でした。その時はわからなくても後になって読み返せる、学び直せる、書くことによるコミュニケーション、あるいは学問とはこういうことだろうと実感しました。  今日は、立教というすばらしい大学にお招きくださったことに深く感謝します。同志社とも交流が深い大学で親近感があります。私の会社の立教のOBOGはおしなべて優秀です。怖いお客様のところに一緒にお詫びに行ってくれ、とお願いされた営業さんも立教の人です。社内でですね、「日下部チルドレン」、小泉チルドレンとか、小沢チルドレンとか、そうした言葉があるんですけど、そうした言葉をもじって「日下部チルドレン」、そうした言葉を用意してくれたのも立教のOGです。志木はおばのいるところ、地縁もあります。実際、今日は来てくださってます。立教はすごい大学という話をよく聞かせてもらっています。去年も立教の学生、職員さん、そうした人たちと仕事をさせてもらってやっぱり立教はすばらしいと改めて実感しました。  去年、私はいろんな本を読みました。その中のベストは渡辺先生の『時に海を見よ、これからの日本を生きる君に贈る』立教新座中学校高等学校の渡辺先生の本でした。ご存知の方?(ちらほら手があがる)。素晴らしい本でした。ちょうど震災の後のことでしたから、この先生の言葉に救われました。こうした先生こそが人を育てるのだろうとつくづく思いました。この本は私の甥っ子の大学入学のプレゼントにしました、むさぼるように読んでたらしいです。そうした機会を与えてくださった立教の皆さんに、あるいは今日雨の中来てくださった皆さんに深い感謝をお伝えしたいと思います。ありがとうございます。 ■自己紹介(経歴) 日下部/ 先ほどAくんから簡単に紹介をしていただきました。山口の岩国から京都に出ました。同志社大学を卒業して、富士ゼロックスに入社しました。在職中に同志社大学の総合政策研究科に、社会人として学び直しにいきました。「ナレッジマネジメント」という経営学のジャンルで修士学位を取りました。博士課程では、聴覚しょうがい者の支援政策へと方向転換しました。というのも、「ナレッジマネジメント」なんて誰にでもできる。お前がやらなければならない学問ではないはずだ。お前が今やらないといけない学問は何なんだ、お前にしかできない研究は何なんだ、そうしたことをいってくれる先輩がいて、ああ、そうかと。確かに「ナレッジマネジメント」という学問は大切なんですけれども、そうした知見を生かしながらしょうがい者の支援政策の研究、そうしたものをやっています。その縁でこの領域のいろんな人たちに出会えています。今ではしょうがいがあってよかったとさえ思ってます。しょうがいがなかったらひょっとするといやな人間になっていたかもしれません。そうしたしょうがいのこと、しょうがいから学んだことをお伝えします。 ●写真 座って講演している日下部氏と、日下部氏のすぐ横に立って手話通訳をしている学生。 ■しょうがいのこと・しょうがいから学んだこと 日下部/ 私のしょうがいは感音性難聴というしょうがいです。補聴器を介して音は認識できますが、言葉を言葉として認識することは困難です。聞こえる人にとっては、知らない外国語を聞いているようなもの、そのような説明をすると、比較的理解をしていただきやすい。最近は高齢化社会、そういうことで補聴器が市民権を得つつあります。有名人が補聴器をしていることも増えました。先日の新聞記事で見ましたが、 P4  松崎しげるさん、こうした有名な歌手も補聴器ユーザーだそうです。だた、そうした人は伝音性難聴、いわゆる老人性難聴には補聴器の補聴効果は高いんです。つまり、伝音性難聴というのは、音を大きくすれば聞こえる、そういうしょうがいです。ここに補聴器をつけていれば聞き取れる、という誤解が生まれます。感音性難聴は違います。先ほどAさんから紹介していただいた通り、私は小学校高学年から徐々に悪化して、今は聴覚しょうがいの最高度の障害2級というレベルです。幸いに言葉を覚えてから聞こえなくなったので、しゃべることはできます。ただ、もうずいぶん言葉を直接聞きとることから離れてしまったので、どうも頭の中でうまく音声に結びつきません。   大学卒業の時に初めてしょうがいを意識しました。自分が聞こえないことを受け入れていないままに就職活動をしました。みんなと同じ過程で就職活動をして内定を取りましたが、最後に、障害者手帳を持って来い、手帳がなければ内定は無効だ、そんな話を伝えられました。その夜、大学に入って、初めて悔しくて泣きました。障害者手帳の取得には抵抗がありました。結局、尊敬する先輩の「差別はないから安心して入ってこい」そうした言葉を信じて入社しました。実際、入社後は差別はありませんでした。社会で時々出くわす、聞こえないとわかってあからさまに顔を曇らせるような、そんな人たちもいませんでした。目に見えないがしょうがいを持った人たちもたくさんいる会社です。なぜだろう、なぜ抵抗があったのだろう。今になって考えると不思議に思います。なぜ聞こえないことを恥ずかしく思ったんだろう。私は人の縁に恵まれているとよくいわれます。私もそれを実感します。特にしょうがいがあるから出会えた大切な人も多い。今ここで皆さんとお会いできているのも縁に恵まれた結果です。私の周りの人たちは聞こえない私に筆談という労力を負担してまでコミュニケーションをとってくれます。中には、音声認識ソフトをものすごい時間をかけて仕込んでくれる、そんな上司もいらっしゃいます。そんな人たちが悪い人であるわけはない、と思っています。  ここに社会にでることを怖がらないでいいよ、そうしたヒントがこめられています。もちろん、そうしたことをしてくれない人も多いです。ただ、それはそれで仕方がないことです。この割り切り、諦めでは決してありませんが、大切だと思います。私にできるのは私に向けられたコミュニケーション、それに対して感謝の気持ちを忘れずに、感謝の気持ちを相手に返す、そうしたコミュニケーションをすること、そのように思っています。聞こえないことをグチグチいう前に言葉を増やす、仕事をロジカルに理解する。わかってくれている人と本質的なコミュニケーションをする、うわっつらのコミュニケーションではなく、ハートとハートのコミュニケーションですね、そうしたコミュニケーションをする。その結果として、聞こえないのにコミュニケーション力がある、とまで評価をいただいています。過剰評価なんですけどありがたいことです。 ●写真 パソコンテイクをしている学生2名を後ろから撮影したもの。 日下部/ ここで、しょうがいをどのように捉えるのかという話をします。学生の皆さんが生きてきた時間以上に聴覚しょうがい者として生きてきてわかったこと、そうしたことをいくつかお伝えしたいと思います。弱さは強さの欠如ではない。弱さを自覚することで強さにつながることが多い。それを弱さの強さ、あるいはフラジャイルといいます。フラジャイルっていうのは、ご存じのように、荷物に壊れ物注意という張り紙がありますがそうした貼り紙のことですね。壊れ物注意と張ることによって、慎重に扱う。その結果壊れにくくなってしまう。逆に強さにつながってしまう。 P5  そうしたことです。これは大学院で知り合った平尾誠二さんという方から教えてもらいました。スライドの右側に『知のスピードが壁を破る』という本があるんですけれども、ちょうど私が平尾さんと色々交流を深めていた大学院の時に出た本です。この本の中に私の言葉が入っています。今ブックオフで、100円で買えますので(笑)興味があれば手に取ってください。  今あらためて思うのは聞こえないことから逃げていたらずっと弱さのままだったろうと、そういうことです。大学時代の私はまさにそうです。聞こえないことと折り合えないまま4年間過ごしてしまった後悔があります。聞こえないことをきちんと受け入れていたらもっと違っていたはず。ですから今日のAくん、あるいはBくん、そうした方が、しょうがいを受け入れてこうした場でしっかり表現をしていく、それを支えるみなさんを含めて、とても素晴らしいなと思います。そうした悔いを払拭するために、聞こえないことを恐れずに大学院に行ったから今につながっていると思います。また、自分で決めることの大切さを実感したのは、院の同級生の生涯の友となる人たちに出会えたことです。どういうことかというと、入社後10年経ったころに大学院に行こうと思いました。その、自分で思い立ったタイミングで自分からチャレンジした、その時に、そのタイミングでチャレンジしないと出会えなかった人たち、そうした人たちと出会えたこと、これは私の財産となっていますけれども、もしその時に躊躇して、1年、2年、受験を遅らせてしまっていたらどうなっていただろう?と思います。私の運のよかったことは、私が入ったその年に、先ほどの平尾さんや、あるいは同志社大学の野球部の監督さんなど、それからずっと付き合いを今まで続けられている、そうした友人と出会えたこと。この時に覚えていることが一つあります。「聞こえないのにわざわざ苦労しに行く必要ないんじゃないの?」と、いわれたことがあります。ただ、そうした言葉をそのまま受け止めて、そうだよね、と思っていたら、今の自分はなかったのではないか、そのように思います。  とはいえ本当にいろんなことがありました。聞こえないことを絶対に言い訳にしてはいけないと思った出来事を紹介します。大学入学前に母親と些細なことで喧嘩しました。当然、言い負かされました。で、捨て台詞ですね、耳が聞こえないことをグチって、「生まれてこなければよかった」、普段思ったこともない言葉を発してしまった。いった瞬間にしまったと思いました。「その言葉は親としてどれだけつらいことか…代わってやれるものならばどれだけ代わってやりたいと思ったことか。」気丈な母親の涙をその時初めて見ました。それ以来、聞こえないことは一切言い訳にしていません。 ■働くということ 日下部/ 次に働くというテーマに入ります。私の会社、富士ゼロックスでの仕事は、企業と企業の、B to Bと書いてありますが、これはビジネスtoビジネスという意味ですね。営業契約管理や契約面のコンサルティングの仕事、そんな仕事です。簡単にいえば、営業が様々なルートで売った機械、何百台という単位であったり、あるいは数億円という高額な機械を扱うこともありますが、それを法律的にあるいは経理的に、正しく売り上げ計上し、代金回収までの面倒をみる、つまりマネジメントする、そういう仕事です。最近は個人情報保護や営業秘密情報などの意識の高まりで、細かい調整ごとが増えています。ただ、そうした仕事が増えていても、法律的、あるいは経理的な知識と同じか、あるいはそれ以上にお客様や担当する営業とどのように向かい合うか、教育を含めたコミュニケーションをどういうふうにとるか、そうした力が必要になる仕事です。私の周りには聞こえない人はいません。入社してから25年間、ずっと聞こえる人の中でただ一人の聞こえない存在でした。では改めて働くってなんだろうと考えました。「はたらく」とは、傍を楽にする、そんなべたなことをいうために来たわけでは今日はございません。余談ですが、結婚式の時に「3つの袋を大切に」、そんなべたなスピーチをするおじさんおばさん、そんな人にはスピーチ頼まないほうがいいです。ただ、 P6  「傍を楽にする・はたらく」「胃袋・給料袋・お袋、という3つの大切な袋」も世の中では大切なことのエッセンス、これは間違いのないところですけども。 ●写真 講演する日下部氏のアップ。 日下部/ ちなみに私は、雪かき仕事、雪かき仕事ってわかります?あのー、雪国でですね、雪がいろんなところに積もってしまう。それをかき出さないと普通の社会生活が成り立たない。誰の役割ってわけではないんだけれど、みんなが力を合わせてそうした社会的な仕事をする。違う言葉でいうと三遊間の仕事。三遊間の仕事っていうのは野球のたとえですね。三遊間にゴロがとんだ。三塁手とショートストップ、どちらがボールを取りに行くのか。お互いが取りに行かないとカバーし合えません。そうした仕事を厭わずにやる人を私は評価します。自分だけよければよい、そういう人は、大嫌いです。ヒラメ人間も大嫌いです。ヒラメ人間って言葉はわかりますか?大人はほとんど、「あ、こいつのことだな」と、今、頭の中に浮かんだはずです(笑)。学生さんにはちょっとわかりにくいかもしれませんが、とにかく上しか見てない。自分が昇進昇格することしか頭にない、自分さえよければいい、そうした人間は確かにいるんですけれども、そうした人間は嫌いです。  今、私は同志社大学キャリアセンターのアドバイザーをやっています。そこで思うことを紹介します。今日のテーマでもある、学生たちが社会に出ることや働くことを不安に思っている、これは同志社でも同じです。では不安って何だ?働くことに対する不安なのか、あるいは社会に出ることに対する不安なのか。ここをきちんと考えるように学生には伝えています。私自身も大学卒業する時は不安を感じました。それはすべて聞こえないことに起因する不安でした。その不安から救ってくれたのは、5歳上の兄の言葉です。「会社にはどこかに聞こえなくてもできる仕事が必ずある。」実際にありました。そこで努力して認められるようがんばればよい。不安に思う前に飛び込め。そういうメッセージでした。このように私はこれまで、節目節目でいろんな人の言葉に救われてきました。今日はここで何らかのことが学生のみなさんに伝わると、そうした人たちへの恩返しにもなりますので、とてもうれしく思います。では、改めて、学生の抱く不安とは何か?繰り返しますが、働くことに対する不安なのか、社会に出ることに対する不安なのか、それとも両方なのか。不安だ不安だというのであれば、まずそこをはっきりさせる必要があります。そこから初めて処方箋が見つかるのではないか、そのように思っています。つまり、不安という便利な言葉に逃げずに、一歩踏み込んで考えていきましょう、そういう提案です。今の社会では、そのような学生の不安をあおるように雇用のミスマッチという言葉が喧伝されています。この言葉で入社後3年以内に退職する新卒学生の動向が説明されることが多いのですが、はたしてそうでしょうか?一つには、最近の学生たちに適職意識が強いから、このように分析されるように思います。適職、これは見つけるものなのか?多くの人は適職は作り出してきたものではないか、そのように思います。最初はなんでもやる覚悟が必要だと思います。障がい学生支援アドバイザーとしてこのように学生を諭すことも多いのですけども、これは本当に同志社の学生に限った話ではないようです。 ●写真 会場後方の右端から見た会場全景。前方にはステージいっぱいの大きさのスクリーンと、講演している日下部氏、その左横に手話通訳をする学生がいる。 P7 日下部/ たとえば、鷲田清一先生『誰のための仕事』という本から引きます。鷲田先生は阪大の哲学の先生。前の大阪大学の学長さんです。その鷲田先生のもとに、就職活動の季節になって、私にはいったいどんな仕事が向いているのでしょうか、他の人にはなくて、私にしかない素質や才能が私にはあるのでしょうかと訊ねてくる学生は少なくないとのこと。そうした学生にはこういうことを伝えるそうです。「会社に入ればみな誰にでもできる仕事しかさせてもらえない。誰でもできる仕事を工夫しながら、丹念に繰り返しているうちに、自分流のやり方を見つけ、また、周囲にも認められるようになる。そうして初めて、他の人にはできない仕事がうまれる。会社員のみならず、職人といわれる人でも、先生でも、お坊さんでもみな同じ」だと。だが、ここが学生になかなかわかってもらえない。自分にしかできないことへのこだわりが最初にあるようだと、この先生は仰っています。こうしたこだわりが「雇用のミスマッチ」という言葉の裏に隠されているのではないか、というのが私の仮説です。会社に勤めておられる方ならおわかりのように、会社も採用した人の能力をどのように開花させるか、適材適所を真剣に考えてるのが普通です。たとえば入社時の仕事が合わなくても、いずれローテーションの時期が来ます。今のその仕事があわなくてもその時に備えて準備することも大切ではないでしょうか。同志社大学の労働政策の先生、その先生が仰ったことですが、大卒の男子学生が化けるのに5年かかる。つまり、使い物になるまで入社後5年もかかってしまう。一方なぜか女子学生は3年で化けるそうです。女性のほうが先に大人になる。なるほどな、と若い人を見て思うことが多いです。企業はそのことは体験的に知っています。ですから、せっかく入った会社、あまり早まらないようにしてほしいなと思います。とはいえ、正直に白状しますが、今ここで偉そうなことをいっている私も、3年くらい毎日毎日、辞めようと思っていました。ブラザー、つまり、入社後の指導役割の先輩ですね、この人が非常に細かくて厳しい先輩だった。周りには怖い怖い女性陣がたくさんいました。聞こえないことと向き合えていない、中途半端、そうした中途半端さがあいまって聞こえる人と同じようにふるまってしまって、いろいろ失敗しました。自分で自分のことをわかってもらおうとする努力もあまりできていなかった。ある日、私の失敗のためクレームをうけた先輩Mさんという方なんですけども、しみじみと諭されました。お前の能力の高さは僕が一番よくわかってる。だけど、周りの評価がそうではないのはなぜかわかるか?誰もお前に聞こえることに期待してないのになぜ聞こえる人と同じようにやろうとしてるのか。お前が自分で聞こえないことを受け入れられてないから周りはもっとそうなってしまう。そんなことをいわれました。最後に「いっそ聞こえないことを売りにしちゃえ」え?そんなんでいいのん?その時に私の心のバリアががらがらと崩れました。まさにこの言葉に救われました。 ●写真 日下部氏と、日下部氏のすぐ左に立って手話通訳をしている学生。その後ろには、左側に講演内容が箇条書きにされているスクリーン。その右側に、パソコンテイクのスクリーン。 日下部/ ここで話を不安という言葉に戻します。いずれにせよ、それは知らないことに起因することが多いです。私は同志社大学の非常勤の講師でもあるのですが、同志社大学で担当する講義、『「心のバリアフリー」を考える』という講義。これは英語でいうと、バリアフリーコミュニケーションデザインといいますが、この講義では、レポート試験を課しています。3年前に優秀なレポートがありました。そこでは、健常者としてしょうがい者と出会った時の不安を、知らないことに起因するものと仮説して、知るためには P8  どうすればよいのか、知るために自分は努力しているのか、と自問し、知った後でわかったこととして、しょうがいはその人の本質ではなく、あえていえば、しょうがいというその人にとって不便な要素があるにすぎないと論考していました。こうした受講学生との議論をベースに、この講義では、相手のことを知る、相手のことがわかる、相手に対するイメージが変わる、相手への接し方を変える、こうした、「知る」「わかる」「変わる」「変える」そうした4つのプロセスの大切さを伝えています。これは、働くことに対する不安にも、社会に出ることに対する不安にも共通して使用可能な処方箋ではないかと、そのように思っています。  今日来てくださった学生の皆さんにお伝えしたいことは、大学に入るため、あるいはしょうがいを乗り越えるために努力してきたこと、その姿勢を、これから知らないことに対し知らないものを知る、そうした知るということにも向けてほしいということです。知る、わかる、変わる、変える、こうしたプロセスは知ろうとする姿勢がない限り成立しません。もちろん、知れば必ずわかる、そういうわけではありません。世の中はそんな単純なものでないのも事実です。でも、知ろうとする努力、そうした努力なしでは、なにも始まらないのではないか、そのように思います。これはどんな仕事にも共通して必要な姿勢だろうと思います。そうした姿勢が、その人の姿勢が、その人に対する信頼、あるいは評価につながっていくんだろうと思っています。  ここで突然ですがサッカーのなでしこジャパンの大野選手、皆さんご存知かと思いますけど、なでしこジャパンの中で一番ちゃらちゃらした選手、のように見えます。私自身も好きではなかった。先日、7月2日の報道ステーションで彼女の特集がありました。そこで私は、彼女のつらい経験を知りました。彼女はああ見えて、極度の人見知り。転校したことをきっかけにいじめにあうようになったそうですが、転校先で入ったサッカークラブの人たちがフレンドリーで彼女も仲間に入れてもらえ、そこで立ち直れたそうです。そうしたつらい経験があるから、なじめない人に目が届く。そうした人が溶け込めるようにつとめて明るい雰囲気をつくる。いい子だなと、初めて思いました。このことを知ることで私は彼女に対する認識が変わりました。  話を戻します。企業が学生に望む能力。いつの時代もコミュニケーション力、それが期待されています。実は自分たちができていないから、学生たちに期待している面もあります。学生の皆さんにお尋ねします。お父さんやお母さんから、お父さんお母さんができていないことを要求されることってありますか?あるなと思う人?(笑)あ、みんなないの?(笑)Aくん、お父さんかお母さんから要求されることで、だったら自分がやってよ、お手本みせてよ、そういうことはありますか? 学生A/ (紙に書いて日下部さんに見せる)整理整頓とか。 日下部/ 整理整頓とか?お母さんはできてないのに君に要求する?(笑)逆にあのー、会場におられる子どもをお持ちの方に聞きます。自分にできていないことを子どもさんに要求される方、いらっしゃいますか?…(手があがる)そうなんですよね、大人はそうなんです。実はそれが教育です。先輩を乗り越える、お父さんお母さんを乗り越える、それが一番の親孝行。そうした意味で企業は上司ができてないことを要求することも多いです。では企業が求めるコミュニーション力とはいったい何か。私の講義では、コミュニケーションを、対象のことを知ろうとする愚直なまでの問いかけの連続の過程、そのように紹介しています。で、こうした姿勢を持った人は、入社後に必ず伸びます。私は仕事を通して、何百人という営業の人たちと接してきましたが、そうした中で、しみじみと感じることの一つが、コミュニケーションを取ろうとする姿勢、それが人の能力を分かつのではないか、そのように思います。  ここでまた働くことに戻ります。働くことが意味することは時代とともに変わっているように思います。たとえば英語を用いるとわかりやすいのではないかと思います。昔の労働観というのは、Labor。それがWokerに変わった。今は何になっているかというと、 P9  Player。たとえば、今の管理職はプレイングマネージャーとよくいわれます。つまり働くことはかつての苦役のようなイメージから、自分の能力を開花し、発揮させるためにPlayすることに変化しているように思います。それが今の時代の労働観にふさわしいのではないか。ではどのようにプレイするのか?武器は何?今の学生さんの過度の適職願望は、どこでプレイするか、そうしたことへのこだわりすぎから来ているように思います。  たとえば、今日のテーマ、サブタイトルにありました、「聴覚にしょうがいのあるマネージャーの視点」、これは何を意味するのか。聞こえない人が聞こえる人の上司になることは珍しい、そういうふうにいわれています。聴覚しょうがい者は就職時の課題とともに、就職後の課題、そうしたものが存在します。昇進昇格もその一例です。特に大学卒業者は理系専門職であれば研究者としての昇進昇格の道がありますが、ジェネラリストとなる大卒の文系では、聴覚しょうがい者は昇進昇格は難しい、そういう風によくいわれます。なぜか?一つには、マネージャーは人と人との関係性、それをマネージする必要があり、聞こえないということはそれにマイナスに作用する、だから昇進昇格は難しいといわれることが多いです。はたしてそうか?では、私の部下は不幸なのか?あるいは私の上司は不幸なのか?そこは今日みなさんが持ち帰って考えてほしいと思います。  ではなぜ、私は例外となり得たのか。このようなことを自分でいうのはおこがましいのですが、後に続く若い人たちのために、あえて今日は、自分を棚にあげてお伝えします。普段はこんなことはいいません。いろんな要因が考えられます。一番は先ほどお伝えした通り、人の縁に恵まれたこと。理解者が周囲にいたこと。ただ、理解してもらうためにはやはり努力は必要です。聞こえないなら読む力、書く力で補うしかありません。そのことだけは常に意識してきました。  本を読む量は半端ではありません。本にかけるお金もそうです。ちなみに本も人と同じように一期一会です。たとえば本屋に行きます。気になる本を手に取ります。たった数ページ、ひょっとするとほんの一行かもしれません。そうした言葉が誘いをかけてきます。そんな時は必ず買います。すべて読めているかというとそうでもないものもあります。ただ、自分の部屋の中にそうした本があると、ふと手に取った時にまたそうした出会いがあります。本との出会いを大切にすることですね。そこから広がる世界もあります。 ●写真 パソコンテイクをする学生の様子。ノートパソコンの画面は黒い背景に白い文字。 日下部/ 努力という言葉をこれまでお伝えしてきました。努力する人は世の中にたくさんいらっしゃいます。みなさんも努力されてきたと思います。努力すれば必ず成功するわけではないけども、努力しない限り成功を収めることは難しい、そのように思います。働きながら行った大学院では、多くの人と知り合いました。たとえば、ラグビーの平尾さん、オリンピックのメダリストの陸上の朝原選手。朝原選手はみなさん、ご存じですね?ご存知の方、手をあげてください。だいたいあがります。では、朝原さんの奥さんも実はメダリストです。バルセロナというオリンピックの時に、シンクロナイズドスイミング、そこで銅メダルを獲りました。奥野史子さんという方です。奥野史子さんご存じの方?ありがとうございます。そうした人も大学院で学ばれています。そうした一流選手はみな、努力家です。そして、私のような人間とも対等に向き合ってくれる、人を外見、しょうがいの有無などで区別するような人ではなかった。私のような人間にも教えを乞うてくれる、人から学ぼうとする人たちでした。こうした人と「生」で知り合えたことは私の財産です。つまり、このような P10  人との出会い、それが社会に出ることの楽しみの一つ。何度でもいいますが、これまで努力してきたこと、乗り越えようとしてきたこと、そうした経験が財産です。「艱難汝を玉にす(かんなん なんじを たまにす)」という言葉があります。試練やつらいことが人間を成長させる。そういう格言が示す通りだと思います。どうぞこれまで続けてきた努力、それはぜひ継続して下さい。学生の時にはお金を払ってまで努力していることが、社会に出る、働くことは、逆にその努力に対して対価、お金が払われるということです。もちろん成果が求められ、責任が伴いますが、お金をもらえて成長させてもらえる。働くということは、お金をもらえて成長させてもらえる、そういうことです。素晴らしいことではないかなと思います。社会に出ると、こうした努力を見抜いてくれて、理解してくれる人が必ずどこかにいます。社会は広いです。学生時代の世界とはまったく違います。つまりわかってくれる人に出会える確率が高まる、そういうことです。どうか怖気づかないで社会に出てください。相撲の世界には「3年先の稽古」という格言があります。今努力していることは、すぐには成果が出ないかもしれませんが、必ず3年後には成果が出る。そういう言い伝えです。それを信じるか信じないか、それで結果が変わってくるように思います。私自身は、立教のような著名な大卒者、あるいは立教に限りません、一生懸命勉強して大学に入ってきた、そうした人たちは、受験勉強をとおして、自分で努力する、自分で自分を律することができた人だろうと思います。自分を律する、そうした経験は貴重です。そうした姿勢が財産になるわけです。たとえば、私を理解してくださっている上司がいってくださったこと。「日下部は、聞こえないけども背中、行動で気づかせることができる人間だ。努力を続ける限り支援を惜しまない。」逆にいえば努力を怠った段階でおしまい。こういってくれた、というより書いてくれた言葉。ありがたいことです。ただ、自分では努力しているつもりはありません。聞こえないというしょうがいがある以上、普通の人に伍していくには、相当の努力、それは必要なことだと思います。ただ、周りは努力という言葉で理解してくれてるけども、自分自身ではそれを努力だとは思ってない、当たり前のことだとそのように思っています。とはいえ、自分が当たり前だと思っていたそれを認めてくださることはとてもうれしいこと。先日亡くなった従姉が病床で残してくれた言葉があります。最期のお見舞いとなった時に、かすれた声でこう伝えてくれたそうです。「隆則が努力してきたことを私はずっと見とったよ。だから立派になれたんよ。」遺言として大切にしていきたいなと思います。 ■インプリケーション 社会人生活での気づき 日下部/ 私は法学部出身です。ただ、法律の知識、そうしたものより、やはり日本語の力が大切だと、そんなふうに思います。さらにこれまでにお伝えしたコミュニケーションの力、コミュニケーションをとろうとする姿勢、そうしたことが大切だろうと思います。聞こえる、聞こえないは関係ありません。仕事に限らず社会におけるミス、それはすべてといっていいほどコミュニケーションに起因します。目の前の相手とのコミュニケーション、メールを通した目の前にはいない見知らぬ人とのコミュニケーション、あるいは自分自身とのコミュニケーション、このようにコミュニケーションは多様です。この力が弱い人、あるいは、ここを志向しない人、そうした人には苦労するから、企業が学生にコミュニケーション力を求めるのも一理あります。会社でのコミュニケーションは私の場合は文字です。メールだったり筆談だったり、会社ではとてもややこしい相談を受けることも多く、そうした相談は電話や話し言葉にすれば楽にできることなんです、実は。でも、それをあえて文字で伝えてくれる、それがどれだけ大変なことかわかります。そのことへの感謝があるのか、それともそうではないのか、対応がおそらく変わってくるはずです。そうした対応が変わると、相手への対応も必ず変わってきます。つまりお互いの信頼関係が醸成される下地ができる、そういうことです。感謝の気持ちを込めて、わかりやすく的確に伝えられる P11  言葉の力、私はそれを磨いてきましたが、結局はそれが信頼関係の構築の鍵だった、そのように思います。  そろそろ時間が少なくなってきたようです。すぐにはできないかもしれないけど、これだけは負けない、というものがあると強いです。それを見つけ出してください。私の場合は書くこと、読むこと、そして人を好きになること。きっかけはさだまさしさん。今はただのおじさんかもしれないけれども(笑)、40年前、若いころはかっこよかった、あれでも。そんなこというと失礼ですけれども、さださんの書く日本語はとてもすばらしいものです。そうした人に魅了されました。私もこのような日本語の使い手になりたいと思いました。お会いしたことはありませんが、私にとっては恩人です。仕事ではわからないことはわからないまま放置しないようにしてきました。この大切さに気づくまでやはり5年かかりました。筋道立てて、わかるまでとことん考えてきた。つまりロジカル、そういうことです。考える力を養うためにもやはり語学力は大切だなと思います。部下に伝えていること、そうしたことはレジュメに書いてある通りです。会社の中でできる人は言葉のマネジメント能力が高い人が多い。これはどこの会社でもそうだろうと思います。あとは、少しばかりの気遣い、エクセレントなコミュニケーター、そうした人には気遣いのできる人が多い、そのように思います。  私が勤務する富士ゼロックスでは、「強い」「やさしい」「おもしろい」この3つの要素を良い会社であることの構成要素として、それを追及しています。私が所属する組織、私のチームもそうした強い、やさしい、おもしろいものにしたいと思っています。ただそのためには、なによりも自分自身が「強い」「やさしい」「おもしろい」そうした人間にならなくてはいけないなと思っています。たとえば同志社の求める人材像、これも似たようなものです。「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起こり来たらんことを願う」というのが建学の精神です。いつの時代においても人間として大切なこと、基本は変わらないんだろうと思います。というのも、社会は人間をベースに構築されてる以上、変わらないのも当たり前のことかもしれません。社会にはこうした良心、温かさがある。それが事実です。ですからどうぞ怖がらずに社会に出てください。  最後の最後、あたたかさにまつわる話を。広島カープに前田選手というバッターがいます。今有名なマエケンではありません。彼が数年前、地元の広島市民球場で2000本安打を打ちました。その翌日の地元の中国新聞のコラムがとても素晴らしかった。書き出しを今でも覚えています。「小さいけれどあたたかさでいっぱいの球場の真ん中で、背番号1が泣いていた」これは試合後のあいさつのシーンを書いたものですがいろんなことが伝わってきます。つまり、社会にはあたたかさがある。これは間違いのないところだと思います。ですから繰り返しますが、どうぞ怖じけずに、しっかり準備して、社会に出て下さい。長くなりました。以上です。ありがとうございました。<拍手> ■質疑応答 司会B/ 日下部さん、講演どうもありがとうございました。僕もこれからコミュニケーションの力を大切にしていきたいと思いました。では次に質疑応答の時間に移りたいと思います。ここで、お願いがあります。発言される際には、ゆっくりはっきりと発言されるよう、お願い致します。スムーズな情報保障が可能になります。また、聴覚しょうがいをお持ちの方にもわかりやすく伝えたいと思っているため、発言される際には、こちらの舞台にお上がりください。よろしくお願い致します。それでは質疑応答に入りたいと思います。ご質問のある方はいらっしゃいますか? 一般参加者/ 私は、○○聴覚特別支援学校の○○と申します。質問があります。私は来年社会人になります。社会に出た時の不安がすごく大きいのでどのような自信を持てばいいでしょうか。 P12 ●写真 舞台上に立って質問する参加者、座って質問者をみている日下部氏、その横に立っている手話通訳の学生。 日下部/ 先ほども話しましたが、自分の武器は何なのか、そこに目を向けてそれを磨いて欲しいなと思います。コミュニケーションも決して音声に限るわけではありませんから、手話を理解してもらってコミュニケーションをするとか、あるいは書記日本語を強化して書き言葉で、書くことでコミュニケーションするとか、いろんなやり方があると思います。逆にお尋ねしたいのですが、不安って何ですか?先ほどから会場の皆さんにも問いかけをしているんですけれども、不安て何なんだろう?どこから来るんだろう?そこを考えてほしいなと思います。そうするとヒントがうまれるんではないかなと僕は思います。 一般参加者/ わかりました。ありがとうございます。 日下部/ 何かあったらまたいつでも連絡してください。 司会B/ 他にいらっしゃいますか? 一般参加者/ ○○大学文学部4年の○○といいます。私は車いすに乗っているんですけど、聴覚しょうがいとか肢体不自由なら一律に身体しょうがいとか、そういう解釈でハローワークや大学のキャリア支援で支援がなされていると思います。しょうがいがあるからこそできることが違う、一人一人に対して違う対応をしなければいけないのがしょうがいだと思うので、しょうがいを統一化して捉えるのではなくて、一人一人に対してもっと聞いて欲しいというのがあります。右手が動かないとか、左手が動かないとか、手自体は動くけれども指は動かないとか…人によっていろいろあるんですけど、企業側でしょうがいによる種別や程度による仕事内容の違いがはっきりと示されていないので、実際に自分に何ができるのか全くわからない状況です。全て自分でそれを一つ一つ企業に問い合わせないといけないのですが、何から手を付けていいのか全くわからない状況に陥っています。どうしたらいいでしょうか? ●写真 質問している車いす利用の参加者。 日下部/ あのー、これはしょうがいの多様性ということだと思います。もちろん、たとえば聴覚しょうがいも困り感は人それぞれで違います。しょうがいによって困り感が違うのは当然です。それはしょうがい者に限る話かというとそうではなくて、困り感、困っていることというのは人それぞれ多様なことだと思います。ではどうすればいいのか、という質問だと思うんですけれども、やはり、知ってもらうことから、先ほどお伝えした、「知る」「わかる」「変わる」「変える」そうしたプロセスがありますね?どのように知ってもらえるようにするのか。まず自分のことを知る。それを相手にわかってもらう。そうすると相手が変わる。そうしたプロセスにつながっていくのではないかなと思います。いろいろお困りのことがあると思いますけども、まず何に困っているのか、そうしたものをご自身で整理して、それに対してどのような解決策を打っていくのか、誰に協力をしてもらうのか、そうしたストーリーをですね、ご自分の中で作っていくことも一つのプランではないかと思います。このようなことでよろしいでしょうか? 一般参加者/ ありがとうございます。 司会B/ 他に質問ある方はいらっしゃいますか? 本学学生/ 立教大学3年の○○と申します。今回、日下部さんのお話を伺いまして、大学院時代に「お前にしか P13  できないことがあるから」という言葉で、専攻を変えられたというお話がありました。僕も親とかには、周りに健常の人ばかりしかいないのだから、僕は僕なりにできる仕事をしたらどうかっていうのをいわれるんですけど、会社の中でそういうことを見つけていくのってすごく時間がかかると思うんです。これについて、日下部さんはどのようにお考えでしょうか? 日下部/ はい、ありがとうございます。では、今日は人事のプロフェッショナルの友人に来ていただいています。とある企業でしょうがい者雇用を担当していた友人が来てくれているので、すみません、今の質問に対して、おそらくは職域開発という形になるのかなと思うんですけど。よろしくお願いします。<拍手> 一般参加者/ 突然、話を振られてしまって、「ここで振るか!」というふうに思ってしまいましたけれども…(笑)。今、日下部の方から紹介がありましたように、私はある企業の人事部で2年前までしょうがい者の採用の仕事をしていました。今のご質問も、先ほどのご質問と共通するところがあると思うんですが、企業の中で、やはり、いろんなしょうがいを持った方がいらっしゃる中で、具体的に「この仕事を用意してるんで、この仕事に合う人はきてください」というのは正直できないんですね。やはり採用の立場からするとお一人お一人がどのようなしょうがいがあって、何ができて何ができないのか、それを我々が理解して、今度は会社側としてサポートしてあげられること、そしてできないことを考えていきます。自分たちの会社ではこういうことはできるけれども、ここから先はご自身の努力でなんとかして、ということがどうしても発生します。そういうコミュニケーションを採用面接や、もしくはOB訪問で行い、「うちの会社ではこういう仕事が合いそうだな」というのを、たとえば、人事であったりそれぞれの組織で考えていきます。  弊社の場合は、まず面接があって、今日の話にもありました、コミュニケーション能力ですとか、我々が一緒に働きたいなと思える人を、まず採用の方向で考えて、その上で仕事を考える。この職場だったらできそうだからということで、我々が把握した、応募者の能力ですとか特性とかを伝えて仕事を生み出していく。ですから、学生の皆さんからすると、当然、会社の中でどんな仕事があるかも、またその仕事をどうやっているのかもわからないので、会社に入る前に「自分にはこんな仕事ができるから」ということを考えるのはすごく難しいことだと思います。そういう意味では「自分自身がしょうがいによってできないことはこういうことです、こういうサポートをしてもらえればその部分は乗り越えられます、もしくは軽減することができます」というのを伝えていただいて、あとはもう、業務内容は会社の中で考えます。会社に入った後であれば、やはりやってみたけどできない、ということを、上司であったり、同僚に伝えていただいて、今度は一緒に考えていく。実際、ある程度仕事をすればやり方がわかってきますので「こうやったらうまくできるんだけど、こういう支援お願いできないですか?」ということが必要になってくるのかな、というふうに思います。直接的な回答にはなっていないかもしれないですが、弊社の場合はそういった実情です、といったところでご紹介させていただきます。 ●写真 講演中の日下部氏と、日下部氏の左に立って手話通訳をしている学生。手話通訳をする学生は皆お揃いの茶色い半袖のポロシャツを着ている。 日下部/ どうもありがとうございました。今度ビールおごります(笑)。いま、話をしてもらったんですけども、結局、学生さんの不安の一つ、どんな仕事があるのか、しょうがいを持った人がどんな支援を受けてどんな仕事をしているのか、そうしたことがなかなか伝わってこない現状があります。それに対して P14  企業側の努力が不足しているといわれます。企業も努力はしてるんですけど、どうしてもデリケートな問題なので伝えにくい、そうした課題があります。ですから、できる限り、私のようなしょうがいをもった人間がなるべく発信して、学生さんの不安に寄り添うことが一つのあり方かなと思います。何かあったらまた連絡をください。 司会B/ 日下部さん、ありがとうございました。他にご質問のある方もいらっしゃると思うのですが、時間の都合上、これで終わりにしたいと思います。 次に閉会のあいさつをキャリアセンターの堺さんにお願いしたいと思います。堺さん、よろしくお願いいたします。 堺/ 日下部さん、本日はありがとうございました。キャリアセンターの堺です。普段4年生の支援としょうがい学生の就職の支援を行っています。今日お話を伺いまして、私どもキャリアセンターのサポートが正しいんだな、ということを認識し、勇気をいただきました。ありがとうございました。本質的に、みなさんにちょっとお伝えしたいと思うことがあります。これは、しょうがいがあるとかないとかという意味ではなく、私自身が感じることなんですけども、自分としっかり向き合っていただきたいなというふうに思います。それこそが、相手に信頼をもらう第一歩になるのかなというふうに思います。就職活動の支援をしていて多くの方は、やらされている感じで、自分のないところで、あたかもゲームをしているように操作をしてですね、自分のないものを伝えて、きれいにお化粧してお伝えしていく、そういう人をよく見かけます。今日のお話を伺っていて、それではだめだよと、勇気を持って自分と向き合って、社会と向き合っていって、自分のできることを伝えていきましょう、というふうにメッセージをいただいたな、というふうにすごく私は共感致しました。それから、もう一点お伝えしたい点があります。私も社会に出ている社会人の一人なんですが、できる限り社会にいる先輩方と話をしてください。もっと身近にいうとすれば、日常生活の中で自分の住んでいる街の人と何かボランティアをするとか、掃除をするとか、そういうことからでもいいので、社会と関わってください。話をする中で、「ああ、自分ってこういう風に社会に貢献できるな」と、「自分ってこういうことができるんだな」っていう自覚の第一歩から進めていくと自信になると思います。今日、お話しくださった「不安」ですが、そういうことから私は解消されていくんじゃないかなというふうにも感じます。  今日は本当に立教大学にお越しいただきまして、ありがとうございます。たくさんの学生がこういう活動ができる機会を与えていただきまして、本当にうれしく思います。今日、私自身も学生の姿を見ていて本当に勇気をもらって、手前味噌ではありますが、改めて、この大学はいい大学だなと感じました。みなさんもそう感じていただければ幸いです。これで閉会の挨拶に代えさせていただければと思います。本日は本当にありがとうございました。<拍手> 司会A/ キャリアセンターの堺さん、どうもありがとうございました。これをもちまして講演会を終了させていただきます。最後に、一つだけお願いがあります。講演会が始まる前に資料をお配りしたと思うんですが、その中にアンケートが入っています。ない人いらっしゃいますか?大丈夫ですか?アンケートのご記入をお願いいたします。今日の講演会を聞いて、感じたこと、気になったこと、意見など何でもいいので書いていただきたいです。アンケートの記入が終わったら、教室を出たところにアンケート回収箱がございますのでそちらに入れてください。今日は本当にどうもありがとうございました。お気をつけてお帰りください。<拍手> 以上