立教大学 公開講演会 「一緒に楽しむ。自信をもつ。-視覚障害のフリークライマーがみつけた世界-」 日時 2014年10月18日(土)13:30~15:00 会場 池袋キャンパス 太刀川記念館 3階多目的ホール 講師 小林 幸一郎氏(2014年パラクライミングB1、World Champion!) 主催 しょうがい学生支援室 共催 コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科、学生部、新座キャンパス事務部学生課 サポート体制 学生スタッフによるガイドヘルプ、パソコンテイク等 ※この講演会は、司会・受付・誘導・写真撮影など学生スタッフを中心に運営しました。 司会A/ 皆さん、こんにちは。本日はお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。本日の講演会の司会を担当させていただきます、文学部文学科4年のAと申します。 司会B/ 同じく司会を担当させていただきます理学部物理学科2年のBと申します。よろしくお願いいたします。 ●写真 司会の学生2名、AとB(車いす利用)が並んで立っている。背後のスクリーンに講演タイトルが映し出されている。司会の左隣に小林氏が立っている。 ■講演会のサポート体制 司会A/ まず、サポート体制の説明をしたいと思います。この講演会では、車いすの方や、視覚障害、聴覚障害のある方のためにガイドヘルプ、パソコンテイクを準備しております。そのほか、受付、案内なども私たち立教大学の学生が担当しております。もし講演中に何かございましたら、お気軽に近くのスタッフにお声がけください。それと今回、講演会の記録として、写真撮影とビデオ撮影をさせていただきたいと思います。写真に関しては、本大学のホームページや、しょうがい学生支援室のFacebookなど、活動の様子として掲載したいと思いますが、もし不都合のある方がいらっしゃいましたら、スタッフまでお申し出ください。  では、講演会に先立ちまして、しょうがい学生支援室課長の永島さんからご挨拶をお願いします。永島さん、よろしくお願いいたします。 永島/ 皆さん、こんにちは。立教大学しょうがい学生支援室の永島と申します。本日はしょうがい学生支援室の講演会にご参加いただきまして、誠にありがとうございます。開会にあたり、主催者を代表してひと言ご挨拶をさせていただきます。  私どもしょうがい学生支援室は、その名のとおり、しょうがい学生の就学や学生生活に関する支援を行う部署です。しかし、それだけではなく、しょうがい学生支援にかかわる広報や、しょうがい学生支援の理解促進といった役割も担っております。その一環として、さまざまなプログラムを実施しております。本日の講演会もその1つです。  しょうがい学生支援に関する業務は、多くの学生スタッフの協力のもとに行われており、本日の講演会も学生スタッフとともに準備を進めてまいりました。ガイドヘルプやパソコンテイクといったサポートに加え、司会や受付など、講演会の運営全般に学生スタッフが携わっております。本日の講演会ならびに講師につきましては、この後、司会を務めます学生スタッフから紹介をさせていただきますけれども、この講演会を通して少しでも障害者や障害学生支援についての理解を深めていただければ幸いと存じます。  最後になりますが、本日の講演会はコミュニティ福祉学部、スポーツウエルネス学科、学生部、新座キャンパス事務部学生課にも共催という形で協力をいただいております。講師の小林さんや、お集まりいただいた皆様方はもちろん、その他多くの方々の支えのもとに開催できたことに感謝し、開会の挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。 司会B/ 永島さん、ありがとうございました。続きまして、本日の講師である小林幸一郎さんを紹介させていただく前に、小林さん、世界選手権優勝おめでとうございます。<場内拍手> ●写真 小林氏が世界選手権で優勝した際の、上位3人の集合写真。(スライドより引用)3人の中心に小林氏が立ち、笑顔で優勝カップを掲げている。 司会B/ あらためまして、小林さんのご紹介をさせていただきます。16歳でフリークライミングを始め、28歳のときに難病が発覚し、徐々に視力が落ちていく中、さまざまな出会いや、それまでの経験を生かし、NPO法人モンキーマジックを設立しました。そこで視覚障害者にフリークライミングの普及活動を行っています。また、今年の9月、スペインで行われた世界選手権でも優勝するなど、競技者としても精力的に活動されています。誰に対しても困難な壁というものは存在し、乗り越えられるときもあれば、挫折するときもあります。  そこで今回は、今までたくさんの壁を乗り越えてきた小林さんに、自信を持つこと、困難を楽しむことをテーマにお話ししていただきます。今回、足を運んでくださった皆様と一緒に、私たちスタッフも学びたいと思います。それでは、小林さん、よろしくお願いします。 小林/ あらためまして、こんにちは。ただいまご紹介にあずかりましたNPO法人モンキーマジックの小林と申します。今日はこのようなお話をさせていただく機会を頂戴いたしまして、本当にありがとうございます。本来であれば、こういう場所にこんなTシャツに運動靴みたいなものを履いて現れるのはどうなのかなとも思うのですけれども、今日はこの講演会の後、この立教大学の中にはびっくりするぐらい立派な、私たちがやっているスポーツ、フリークライミングの授業で使っている立派なクライミングの壁がありまして、その壁を使ったちょっとした体験、目の見えない人たちのクライミングの体験ということをさせていただこうと思っています。このクライミングの壁が1つあることで、目の見えない人との接し方の体験とか、ちょっとした気づきのきっかけというものもできまして、今日はぜひこのお話を聞いた方、多くの方がそのままそこに来ていただけたらうれしいなと思っています。さっき聞いたら、施設に入るのにいろいろ手続きがあるそうで、私の話を聞いた後に、気が変わって、「あんたがそんなふうに言うなら、じゃあちょっとやってみようかな」なんて思われた方がいらっしゃれば、ぜひ先ほど通られてきた受付のところで、クライミングを体験してみたいのだけれどもということで、ぜひお申し出いただいて、一緒にクライミングできたらいいなと思っています。  そんなわけで、私もこんなTシャツと運動靴と、クライミングをする格好で今日はお話をさせていただこうと思いますので、身なりに関してはご容赦いただければと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。 ●写真 講演している小林氏のアップ。 ■自己紹介・視覚障害について  これから、今ご紹介にあずかりました、私、小林のことを40、50分お話しさせていただこうと思います。今、私はNPO法人モンキーマジックという団体の代表をさせていただいていまして、主に視覚障害の方を対象としてフリークライミング、岩や壁を登るスポーツの普及の活動をさせていただいているのですが、一体なぜそんなことをするようになったのかというようなあたりをお伝えできればと思っています。  今日は学生さんもたくさんいらっしゃっているということなのですけれども、私は大学生のころ普通に目が見えていて、普通に車を運転し、自分が目の病気になるなどということは考えもしていなかったのですよね。ちょっとそんなころのお話などもさせてもらいたいと思っています。  今日は、今、永島さんのほうからもお話がありましたけれども、このしょうがい学生支援室の学生がやっている、知らない方にとっては聞き慣れない名前も今、聞こえてきました。例えば、「ガイドヘルプ」とか、「パソコンテイク」とか。私は自分がこういう障害者となって生活するようになるまで、聞いたことがなかった言葉ばかりです。「パソコンテイク」と言われて、何のことやらさっぱりわからないという方ももちろんいらっしゃると思うのですよね。今、私から見て右手、皆さんから左手のほうで、カチャカチャカチャカチャと音がして、私がしゃべっていることが横の画面にずっと出ているのですけれども、こうして聴覚障害、難聴の方、耳の聞こえにくい方が、しゃべっていることを目で見て理解できるようにということで、しゃべっていることを文章にまとめて画面にあらわすことで、同じ場所を共有できるように、情報保障しようということの1つが、この「パソコンテイク」、「ノートテイク」とかいうのだそうですけれども、間違っていたらごめんなさい、多分合っていると思いますが。そんなようなことをしながら、さまざまな障害を持っている方も場所が共有できるようになっています。 ●写真 ステージ上で講演する小林氏の左手にパソコンテイクのスクリーンが設置され、右側にスライドが設置されている。左側スクリーンには、黒い背景に白い文字で、小林氏の話している内容を追った文章が表示。 小林/ では、今日は最初に、私は目が見えない視覚障害なのですけれども、視覚障害について、ちょっと最初に考えてみたいと思います。今いらっしゃっている方の中で、学生さんはどのぐらいいらっしゃいますか?もしかしたら、手を挙げていただいているのかもしれないですけれども、私には手が挙がっているのかどうか、わからないのですね。ぜひちょっと頑張ってアピールしていただきたいのですが。この中に学生さんはどのぐらいいらっしゃいますか? <会場より多数の「はい」という声> 小林/ ありがとうございます。何かちょっと気持ちが伝わった感じがあって、うれしいですね。では、ちょっと1枚目のスライドを見ていただきたいと思います。私は東京の武蔵野市というところに住んでいます。吉祥寺のあるところです。その隣の駅、西荻窪というところが私の最寄り駅なのですが、ここに出ている写真は、私の住んでいる西荻窪駅の構内の写真です。この写真を見てもらって、視覚障害者にとって優しいものって何、ということを一緒に考えてもらえたらうれしいなと思います。学生さん、私が聞く限り、後ろのほうからとこちらのほうからと声が聞こえた感じがするのですが、一番向こうの列の後ろから2番目ぐらいの方、いらっしゃいますか?学生さんですか。ありがとうございます。どうでしょうか、この写真を見て、視覚障害者に優しいものというのは何だと思いますか?黄色いブロック、手すり。ありがとうございます。では、もう1人ぐらい。こちらのほうにも学生さん、いらっしゃいましたか?男性の方ですか、いらっしゃる。ありがとうございます。どうでしょうか。今もう2つ、黄色い点字ブロックと手すりとおっしゃっていただいたのですけれども。とられてしまった感じですか?点字ブロックの前にあるクッション材、階段のところにあるやつ。なるほど、ありがとうございました。  今、全部で3つ出たのですけれども、そうですね、黄色い点字ブロック。だいたい僕はこの点字ブロックに白い杖を当てて歩いていくと、改札口のほうに連れていってくれたり、階段のほうに連れていってくれたり、あとはだいたいトイレの前に連れていってくれたりで、大変に助かります。それから、手すりがあると、手すり沿いに歩いていけば、踊り場とかがわかりやすかったりしますし、今おっしゃってくれたクッションみたいなものというのは、黄色と黒のテープみたいな物ですね。あれはクッションみたいになっていないのですけれども、目印として、目が全盲ではなくて、弱視、ロービジョンといわれるような、目が見えにくい皆さんが、ああいうテープがないとグレーの階段が全部坂道みたいに見えてしまうような方もいらっしゃるそうで、そういう方たちに階段であることがわかるようなテープだそうです。ありがとうございます。さすが立教大学の皆さん、お目が高い、よく見つけていただきました。 ●写真 スライドを指し示す小林氏。スライドには、駅構内の階段の写真とともに、「視覚障害者にやさしいものはなに?」と表示されている。 小林/ 視覚障害に優しいものとは何か。私はちょっと意地悪な質問をして、この写真を見て何がありますかと聞いたのですが、実は、私たち視覚障害者にとって優しいものというのは、今挙げていただいた点字ブロック、手すり、テープだけではなくて、駅の改札口の上からは、いつも「ピンポーン」と音がしていて、Suicaを「ピピッ」とタッチする音が聞こえて、その音で、ああ、あっちのほうに改札口があるのだなということがわかったり、トイレの近くに行けば、「ザーッザーッ」と水の流れるような音がして、「向かって右が女性用、左が男性用、真ん中に多目的トイレがあります」と音声で案内をしてくれます。それから、ホームに上がれば、「ピヨピヨピヨピヨ」、鳥の声がしています。鳥の声で、皆さんの駅の朝晩のラッシュ時の殺伐とした駅を優しくしてくれている、たしかにそうなのですけれども、それだけではなくて、実はあの鳥の声の真下あたりに、だいたい階段があります。僕らがホームに出たときに、どこに階段があるのかわからないのですけれども、あの鳥の声を頼りにすることで、駅のホームの階段の場所を教えてくれたり、というようなことがあります。つまり、目の見えている皆さんの目に映るものだけが全てではなくて、目の見えない私たちにとっては、耳を頼りにしていることが実にたくさんあるのだということを知っておいていただきたいなと思います。今日もぜひ皆さん、駅に行かれたら、目をつぶって切符を買ってみてください。最近、タッチパネルですよね。しかも最近はSuicaばかりだから、なかなか切符を買うことはないと思うのですけれども、あのタッチパネルは、私たち目の見えない人間にとっては切符を買うのは非常に難しいです。ところが、硬貨、コインを入れるところのすぐ上に小さい電卓のテンキーみたいなものが付いていまして、そこに米印、アスタリスクマークというものがあります。だいたい一番左の下のところですけれども。そこを押してもらうと、あの自動券売機はしゃべり始めます。声で切符を買うことができるようになっているので、ぜひ帰りは皆さん、声で切符を買って、駅の音探検をしてみていただけたらいいなと思います。見えているものだけが全てではないというような感じでしたね。  次に行きます。では、その視覚障害なのですけれども、全く見えない人もいれば、実は結構、見えている人もいて、その人たちを総まとめにして視覚障害というのですけれども、では、見えにくい人と全く見えない人がいるといいますが、ちょっとその例を見ていただきたいと思います。今、写真が1枚だけ出ていると思いますが、私たちの教室での1枚です。いわゆる視力がいいという方、それから、眼鏡やコンタクトなどで矯正している方はこんなふうに見えると思います。ピントが合って、きれいな写真。私たちがクライミングの教室をやっているときの1枚です。これが、例えば、病気が原因で視力が矯正できない方などは、こんなふうににじんで見えたり、というような方がいらっしゃると思います。眼鏡やコンタクトを外したらこんなふうに見えるという方は結構いるのではないかなと思います。  その次は、霧の中にいるような感じですね。白内障という病気を聞いたことがあるかもしれません。こんなふうに霧の中にいるような感じです。部屋の中の蛍光灯などもとてもまぶしくて、部屋の中でもサングラスをかけたいという方もいらっしゃるような感じです。  その次は、まわりからだんだん見えなくなって、真ん中だけ見えている見え方の人。ちょうどサランラップとかトイレットペーパーの筒を両目に当ててまわりを見ているようなイメージです。見えているところにものがあるとよく見えるのだけれども、まわりが見えないので、ものを見つけるのが大変。杖を使ったりしないと難しいのですが、自分の力で歩くことはできるのですけれども、やっとの思いで見つけたベンチに座ると、突然、小説を読み出したりとか。「あれ、あの人、見えているんじゃないの?」そう、見えているところもあるのです。例えば、目の中心だけ見えているような見え方ですね。  その次、最後は、目の中心部が見えない見え方ですね。こういう見え方の場合ですと、まわりはよく見えている部分があるので、歩行、自分で歩いたりというのは比較的できるのですけれども、目の中心部というのは、人の顔を判別したり、字を読んだりする部分。それが使えないので、情報を獲得するのが難しいといわれています。私はこの最後の見え方から病気がだんだん進行していきまして、今は明るいところがあるのがわかるというような見え方です。ですので、皆さんのちょうど背中側のところに明るい窓があるのと、さっきからこっちのほうに何か明るいのが、窓なのか何かあるのがわかっているかな、ぐらいが今の私の見え方です。視覚障害の見え方はさまざまなのですけれども、障害者というのは日常生活を送るのに矯正がきかなくて、日常生活を送るのが困難な方たちと認識していただけたらいいです。だいたいコンタクトレンズとか眼鏡をしている人たちというのは、「外したら、私、障害者だし」と言われる方が多いのですけれども、おっしゃるとおりなのです。外したらそうなのですけれども、つけたらよく見える。その矯正ができて、日常生活が送れるというのが大きな違いなのかなと思います。  ですが、先ほどお話ししたように、私も昔はよく見えていました。今まさかこんなふうになると思わなかったのですけれども、では、ちょっと子どものころのお話などをしてみたいと思います。 ●写真 情報保障(パソコンテイク)担当の学生の様子。横一列に4人の学生が並び、それぞれの前に1台ずつノートパソコンが置いてある。真剣な表情。 ■クライミングとの出会い 小林/ 私は今、46歳です。小学生、中学生ぐらいのときというのは、スポーツ、体育、運動というのがとにかく苦手、嫌いでした。もうかけっこすればビリだし、ドッジボールとか、そういうのをやれば自分が原因で自分のチームが負けるというような、ものすごくマイナスのイメージがあって、できないから楽しくない。楽しくないから、では、練習するとか頑張ればいいのですけれども、楽しくないからやらない、やらないからまたできないというふうな、もうぐるぐる、ぐるぐるマイナスの渦の中に生きているような感じだったので、こういった体育、スポーツだけではなくて、勉強とかも本当にコツコツ頑張れない子だったのです。自分のやりたいことも見つからないし、夢とかもないし、そういう先が見えない生き方をしていました。たまたま高校2年生のときに、本屋さんで立ち読みした雑誌、『山と渓谷』というのが、アメリカから入ってきた新しいスポーツ、フリークライミングを始めよう、こんな特集をしていました。これを立ち読みして、面白そう、これだったら誰かと競争してビリになることもないし、誰かと勝ち負けを競ってチームプレーの中で自分が原因で負けることもないし、これだったら自分にもできるかもと思って、その世界に飛び込みました。やはり自分でも何か夢中になれるものがあったらいいなというふうな気持ちがあったのだと思います。  それで、その教室に入ったところ、このスポーツ、フリークライミングという岩を登ることの魅力もそうですし、自然の中で過ごすことのすばらしさ、まわりは大人たちばかりでしたので、高校生という小さなコミュニティーが一気に広がった感じ。そんなすばらしさにあっという間に魅力に取り憑かれて、私はこのフリークライミングにどんどん夢中になっていきました。  高校を卒業して大学に上がってからも、僕は、こんなことを大学で言うのはよくないですけれども、ろくに学校に行かずに、大学はもう寝に行くような場所で、アルバイトばかりして、お金をためて海外にクライミングに行ったり、そんなような生活をするようになっていました。映っている写真は、オーストラリアに海外にクライミングをしに行ったときの1枚、もう夢中になっているころの1枚です。やっと見つかった夢中になれるものというような感じでした。  大学を出ますと、私は最初、旅行会社に就職をしまして、3年ほど経ちますと、アウトドアの洋服を売る会社に転職しました。そこで、半年、1年もしないうちに、お客さん向けのアウトドアの教室とか、ツアーとか、そういったようなものの運営の責任者をやりなさいということで、そこから忙しくも大変魅力的な仕事をやらせてもらうことになりました。本当に充実した時間を過ごせたのですけれども、クライミングは、自分の休みは岩に張りついているような感じで、仕事といえば、写真に出ているような、カヌーの上に乗っていたり、テントの上で寝ていたり、自転車をこいでいたり、そんな魅力的な生活、本当に充実した時間でした。 ●写真 スライドの前で話す小林氏。スライドには、写真と文章が映し出されている。岩にぶら下がっている人の遠景写真には、オーストラリア・ビクトリア州の岩場にてとキャプションが付いている。文章は、クライミングとの出会い 高校2年16歳の夏 運動も、勉強も何もかもダメ。と書かれている。 ■突然の失明宣告 小林/ そんなある日、私は車を運転していたときに、何となく目が見えづらいな。夕暮れ時とか、雨の日とか、やたらにじんで見えたり、対向車のライトがやたらまぶしく感じたり、そんなことを感じたのです。時代は、Windows95などというものが出てきて、アウトドアのガイドの仕事をしていた私にも、企画書やら報告書やら出せということで、パソコンを打つような時間も出てきて、ああ、目が悪くなってきたから、眼鏡屋に行けばいいんだなと考えるようになりました。私はそれまで小学生のときから、視力1.2、1.5ぐらいでずっときていたので、視力がいいというのが自慢の1つでもありました。  私は生まれて初めて眼鏡屋に行くのですけれども、機械で視力を測ったら、眼鏡屋のおじさんが、「小林さん、視力がうまく機械ではとれないので、眼科に行って精密検査をしたほうがいいですよ」ということになりまして、私は生まれて初めての眼鏡屋、そして生まれて初めての眼科を訪ねることとなりました。  眼科に行ったところ、私の目をのぞき込んだお医者さんはすぐに、「小林さん、病気の疑いが強いです。精密検査をしましょう」ということで、精密検査をしたところ、結果が出ました。「あなたは遺伝を原因とする目の、網膜の病気です。この病気の治療方法はなくて、病気は進行していき、あなたは近い将来、失明します」という診断を受けました。私が28歳のときでした。クライミングに出会ったのが16歳、高校2年生のとき。その後、大学、就職、その後も大変充実した時間を過ごさせてもらっていた中に、突然、「将来失明します」という宣告。私は、最初、自分のこととして聞けないような感覚すらあったのを、とてもよく覚えています。とはいえ、私が住んでいる街は東京、有名な大学病院もたくさんあって、この先生は治らないというけど、どこかに行ったら治るのではないかなと思って、幾つかの大学病院を回ったのですけれども、どこに行っても言われることは、同じ「治せません」、「あなたは将来失明します」。そのうち、お医者さんに対しての、医療に対しての失望感がどんどん大きくなっていって、この人たちは自分の目の中をのぞき込もうとするけれども、私の心の中をのぞき込もうとはできない人たちなのだな。先生、治せないのは分かったけどさ、俺、この先どうやって生きていったらいいの。こんなようなことをいつもいつも抱きながら、でも、ベルトコンベアのように診察する病院に対して何も聞けずに家に帰る。そんなような時間が繰り返されました。  そんなとき、僕の友達が、「おまえさ、あそこの病院がいいらしいんだよ。行ってこいよ」、もういいよ、どうせどこへ行っても同じなのだからというような話をしていたのですけれども、なだめすかされ、その病院に行ってみました。そうしましたところ、そこの病院は確かに今までの病院とは何かが違った。そこで会った眼科医さんは、私の目のことのその先、心の中の不安に耳を貸そうとしてくれる眼科医さんでした。その先生に、「小林さん、この先にロービジョンクリニックというのがあるから、そこの予約を入れて帰って」。聞き慣れない言葉だったのですけれども、この先生なら信頼できるかもというやり取りがあった私は、そのロービジョンクリニックというものの予約を入れて、次に再びその病院を訪れて、そこで治せない目の病気、そして障害者となる暮らしについて相談ができるケースワーカーと呼ばれる先生たちに初めて会うこととなりました。そこで私は自分の不安を、その先生にぶつけるわけです。先生、私の目の病気は治せないと言われました。この病気はどんどん進んでいって、できないことがどんどん増えてきています。確かに車の運転免許も返しましたし、大好きだった新聞や雑誌も読めなくなりました。次は何ができなくなるのですか。そのできなくなる日のために、どんな準備をして生きていったらいいのですかというような話をしたところ、その先生には、「小林さん、これから何ができなくなるのかと言われても、私たちはあなたにできることは何もないですよ。もっと大事なことがあるでしょう。大事なことは、これからあなたが、何ができなくなるのかではなくて、あなたが何をしたいのか、どう生きていきたいかなのですよ。そのあなたが何をしたいのか、どう生きていきたいのかがあれば、私たちも、まわりの人も、社会の仕組みもあなたの生き方を支えてくれるはずですよ。もっと自分の人生を生きなさい」と声をかけてくださいました。病気がわかってから3年ほどの時間がたっていました。出口の見えないトンネルの中をさまようような時間が過ぎて行ったのですけれども、その過ぎていく時間の中でもがき苦しんではいたのですけれども、先生の「あなたが何をしたいのか、どう生きていきたいのか。それが大切」というような言葉をもらって、肩にずっしりと乗っていた重い荷物を下ろさせてもらったような感覚すら覚えた出会いでした。 ●写真 会場前方より見た、満員の客席。 ■再びクライミングの世界へ 小林/ この先生との出会いの後、私はアメリカの友人の結婚式に誘われて、コロラド州を訪ねました。私のことを空港に迎えに来てくれた友人は私にこう言います。「コバちゃん、目の病気なんだって?知っている?アメリカにはさ、全盲でエベレストに登った人がいるんだよ」。私はものすごい驚きを受けました。全盲で全く目が見えない、その人は両目とも義眼だと聞きました。全盲の人が、世界の登山家が100人単位で命を落としているエベレストに登った。しかもその人はエベレストだけではなくて、世界7大陸の最高峰全部に登っている。私の驚いている姿を見て、その友人は、そのエベレストに登ったという彼が出している本を買ってくれました。このスライドに出ているのが、その本の表紙です。本のタイトルは『Touch the Top of the World』、本の著者はエリック・バイエンマイヤーさん。私は日本に帰ると、この本からインターネットで彼のホームページを見つけ出して、そこに書かれていたメールアドレスにメールを送ることにしました。私にとっては、視覚障害者という生き方について少しずつ視点が変わっていきはしたものの、そうは言っても視覚障害ができることは限られているのではないかなと思っていたのですが、ものすごいショックでした。目の見えない人がエベレストに登れるということとの出会いは、自分が思っているよりもはるかに、目が見えないというのはいろいろなことができるのではないかということへの気づきだったのです。私はこの人のホームページを見つけて、Eメールアドレスを見つけて、彼にメールを送りました。私は日本に住んでいる視覚障害者です。あなたに会ったからって何があるかわからないけれども、とにかくあなたに会ってみたいのですというようなメールを送ったら、彼からは丁寧な返事が来て、この月とこの月だったら遠征がないから、自分の自宅にいるから、こっちまで来てくれるのだったらきみに会えるよということだったので、私は喜び、アメリカ行きの飛行機を手配して、再びアメリカに行き、エリックさんに会うことにしました。  エリックさんに会ったとき、この日たまたま彼にはテレビの取材もあり、一緒に岩場に行き、クライミングをする機会を得たのです。その分、過ごした時間も長く、いろいろな話をすることができました。話をしてみると、彼は私と同い年、同じように視覚障害で、そしてアウトドアやクライミングの世界をこよなく愛しているということがわかりました。私たちが親交を深めていくのには時間はかかりませんでした。私は彼に、日本で自分と同じような視覚障害の人にクライミングを伝える仕事をしたいのだけれども、どう思うかと聞いたところ、彼は、「アメリカではたくさんの障害者がクライミングを通じて、自分に自信や新しい可能性を見つけたりしているよ。もし日本でそういうことがされていないのだったら、それはきみの仕事じゃないのか」と、自分が始められるのではないか、自分だからできるのではないかというような背中を押されるような言葉をもらい、私は日本に帰ってくることとなりました。  このエリックさんとの出会いは、その後の私の人生に大きな出会いと視野を広げるきっかけともなっていきます。この後、写真が何枚か出てくるのですけれども、1枚目は、そのエリックさんと2005年にアフリカのキリマンジャロに登ったときの1枚です。彼は、世界に住む彼の知人の視覚障害者に声をかけて、ともに目標を達成しようというプロジェクトを立ち上げて、そのプロジェクトでキリマンジャロに登ったのですけれども、一緒に山頂まで行けた視覚障害とみんなの1枚です。  この中で1人、アフリカ系の人がいると思います。彼はケニア人の視覚障害者です。2001年9月11日、ニューヨークで同時多発テロがありました。さかのぼることその3年前、1998年のことです。アメリカ大使館、ケニアのナイロビと、その隣国、タンザニアのダルエスサラームという首都にあるアメリカ大使館が、ニューヨークの同時多発テロを起こしたのと同じウサマ・ビン・ラディンたちのグループによって大きな同時多発テロを引き起こされて、アフリカで380何人という大きな命を落とすテロがありました。このアフリカ系の彼は、当時、ヤマハの日本法人に勤めていたそうで、毎朝の出勤で同じようにアメリカ大使館の前を運転してヤマハに向かっていたとき、大きなトラックがものすごいスピードでアメリカ大使館に入っていくのを見たそうです。その後、ストロボ、カメラのフラッシュが光るような光を見て、光が落ち着いたときに、トランシーバーを握った肘から先だけの手が自分のほうに飛んでくるのを見たのが世の中で最後に見たものだそうです。彼はアメリカ大使館の爆発に巻き込まれ、そのあと1週間ほど病院のベッドで意識を失い、意識が戻ったときには視力を失っていたという人でした。  さまざまな原因で、さまざまな環境で暮らす人がいる。彼は、アフリカに平和をもたらしたい。血で血を洗うようなことから生み出されることは何ひとつないということを強く訴えていまして、自分にできることは何かということを強く考えている人でした。とても強い意志というものに刺激を受け、外国には、日本にいたらやはり知ることができない人たちとの出会いがあるのだなということに気づきました。 ■NPO法人 モンキーマジックの活動 小林/ そんなエリックさんとの出会いの一例だったのですけれども、彼はそういういろいろな人たちとの出会いを持っている反面、やはりひとつひとつ地道に自分の活動もしていて、そんな中から、私に、「コバ、それはおまえの仕事だよ。視覚障害のみんなにクライミングの機会をつくろうぜ」と言ってくれた結果、私もコツコツとNPOモンキーマジックの活動を広げていくことになります。その写真が幾つかあるのですけれども、ここにある1枚は、子どもの教室での1枚です。これは明治大学さんが持っているクライミングウォールを、彼らの社会貢献活動として、私たちNPOモンキーマジックの子どもの教室、盲学校に通う子どもたちの教室用に貸し出してくださっていまして、そこでやっている教室の1枚です。彼女、当時、小学校3年生だったかな、やはり一生懸命、自分の手で握って登っていくというスポーツが大好きで、今でもクライミングを、たまにですけれども、やってくれています。もう中学生になっています。  次は、モンキーマジックの活動、普段やっていますけれども、室内の教室、ツルツル頭の方は50代の全盲の方ですね。それから、自然の岩場での教室なども開くようになっていますし、それから、こんな中高年の教室なども開いていまして、全部、女性の方たちでしたけれども、パワフルな70代の方から50代の方まで、いろいろな視覚障害の方と一緒にクライミングをしたり。それから、ある視覚障害の方が暮らしている、入所型の支援施設の皆さんを対象として、視覚障害の皆さんの生活向上、クオリティ・オブ・ライフなどといいますけれども、質の向上にクライミングというもの、自信とか可能性というお話をしましたが、そんなものがどういいのかということを調査研究しながらやるようなプログラムもおこなったりしています。 ●写真 会場後方より見た、スライドの前で話す小林氏、左手にはパソコンテイクが表示されたスクリーン。スライドには、室内にあるボルダリングウォールの前で手を伸ばしてウォールの石を掴む子供と、支える小林氏の写真が1枚。 ■「期待」と「希望」 小林/ このような自分たちの教室もそうですし、それから、私自身にしても、新しい出会いもその後も広がりました。ここに出ているのは、私の大切な友人の一人で、スペイン人の片足のクライマーです。彼と一緒にフランスでボルダリングをしたときの1枚なのですけれども、彼は、16歳のときにオートバイに乗っていて交通事故でトレーラーに脚をつぶされて、今、片足になってしまっているのですけれども、すごく強いクライマーです。彼は仕事をあまりしていなくて、トラックで生活しながらクライミングをしているのですけれども、僕に、一緒にキャンプしながら、「なあ、コバ。人生にはさ、大切なものってあるだろう」って言うわけです。おまえ、何の仕事をしているのと聞いたときに、「仕事よりも大切なものがあるだろう」ということを突きつけられた。そんなような自分の中での哲学は、すごく持っているみたいで、私などは聞いてしまうと、だからおまえらの国は破綻するんだよと思ってしまうのですけれども、でも、スペイン人としてクライミングというものに人生を本当にかけている友人でもあります。  そして、次は今年、最初に先ほどご紹介いただきましたけれども、先月9月にスペインで開かれました世界選手権での1枚です。表彰台に立っているのですけれども、私はこれでも1番なのです。ですけれども、2位のフランス人は身長195センチぐらいあって、3位の彼はイタリア人で、身長185センチぐらいあって、これでも1位なのですよ。そんなような感じで、小学校、中学校のころは私のお話ししたとおりだったのですけれども、スポーツ嫌い、体育嫌い、いいところなしというような感じだった私が、まさかこんなスポーツの世界で、外国で表彰台の一番上に立って、「君が代」を聞くというようなことができるなどということは、想像もしていませんでした。人生何が起こるかわからないなと思います。  「期待と希望」と出てきたと思います。皆さんにとって期待と希望の違いというのは何ですか。頭の中にいろいろな言葉がそれぞれ思い浮かぶと思うのですけれども、私にとって期待と希望の違いは、期待は読んで字がごとく、何かいいことがあったらいいなと待っている。希望は、望みに向かって自ら歩き進んでいくというような意味だと考えるようにしています。確かに私の人生の中では、目の障害という点でいろいろなことが起きました。ただ、自分で次の何かに向かって、小さなことでもいい。例えば、エリックさんに会いたいと思ってメールを1通出す。そんなようなことからひとつひとつ変化は起きてきました。そこに居続けても変化は起きなくて、やはり自分の足で歩いていくことこそ、変化をもたらしてくれるのかなと思うようになりました。 ■見るべきものは、何 小林/ 「見るべきものは、何」ということなのですけれども、自分の中で昔は考えたことがなかった障害者というようなものの中で生きるようになって、今は社会とのつながりをこんなふうに考えるようになりました。まず、障害を持っている人たちとのかかわりで考えたときに、多くの、あまり障害者との接点のない人は、私たち自身のことをなかなか見てくれません。例えば、「白い杖を持っている人」とか、「あの電動車いすに乗っている人」とか、どうしてもその人ではなくて、杖や車いす、そんなようなものに人は目がいってしまいがちだと思います。そうではなくて、その人自身を見る力というものが、この社会には必要なのではないのかなと思います。  他方、では、障害を持っている私たち自身はどうかというと、それぞれさまざまな個性があると思います。それぞれの個性を生かして工夫、自分自身の工夫をこらして、その中から可能性を広げる力をみずから持つということが大事なのではないかなと私自身は思うようしています。  皆さんにお配りした、私たちNPO法人モンキーマジックのリーフレットの表紙に、「見えない壁だって越えられる」と書いてあると思います。見えない壁は、誰もが心の中に持っているものだと思います。それを越えるのも、あきらめるのもその人自身できることだと思います。私たちがやっているクライミングというスポーツは、あきらめるのも、進むのも、工夫をこらしてみるのも、見方を変えてみるのも、その人自身の力だと思います。ぜひ私たちのコンセプト「見えない壁だって越えられる」という言葉の中に込められているものを、クライミングを通じて体感してみていただいてもいいですし、また、社会の中を違う見方で見てみることのきっかけとしていただけたら、うれしいなと思います。  最後です。これは私が大学生のときにアルバイトをして行った、アメリカのヨセミテ国立公園というところです。世界で一番大きな岩があるところなのですけれども、そこで1ヶ月ほどキャンプをしながら、ロッククライミング、フリークライミングをしていました。3年ほど前に、そのヨセミテ国立公園に、もう一度あの岩を登りたいと思って戻ったのですけれども、目標としていたところは登れませんでした。私は世界選手権で金メダルをいただいたり、自分が届けたかったクライミングを同じような障害の人たちに届けるいろいろなものを実現してきたのですけれども、自分自身の中ではまだまだやりたいこととか、届けたいものがたくさんあるなと思っていますし、自分自身、3年前に登れなかったヨセミテの岩にもう一度登りに行ったりしたいなと思っています。できなくなることを指折り数えるのではなくて、自分のやりたいことやできることを指折り数えたりすることのすばらしさや、できなくなってしまったことのやり方を変えていく、やり方を考えることの面白さとか、そんなものと向き合って、これからもまだまだいろいろなことをしていけたらいいなと思っています。  小林からは以上です。ご静聴いただきまして、ありがとうございました。 ●写真 左手でスライドを示している小林氏の写真。スライドには、「What is next destination?」文字、大自然の中で腰に手を当て立つ小林氏の背中の写真。小林氏の背中には、「******」と書かれている。 ■質疑応答 司会B/ 小林さん、ありがとうございました。困難な状況の中でも、エリックさんに会ったり、モンキーマジックを設立したり、すぐに行動に移すことの重要さをすごく勉強させていただきました。また、僕自身も障害を持っているのですけれども、やはり希望を持つことを忘れずに、その障害の中でも工夫して行動しなければいけないと実感しました。 ●写真 笑顔で話す司会Bのアップ。背後には笑顔の小林氏が立っている。 司会B/ では、質疑応答に入りたいと思います。発言される際には、お名前、学生の方は大学名、学部、学年をお願いいたします。また、スムーズな情報保障のために、ゆっくりはっきりと発言をお願いいたします。質問の方の席には、スタッフがマイクをお持ちいたします。ご質問のある方、いらっしゃいますか。 <司会者が小林さんに耳打ち> 小林/ さっき打ち合わせのときに、この質疑のときにたくさん手が挙がったら、どんな方から指したらいいですかというご質問を司会のおふたりからいただいたのですけれども、私は即答で、「かわいい女の子にしてください」と言ったので、今、そんな話になりました。では、男性の方お願いします。 参加者A(本学学生)/ ごめんなさい、かわいくもなく、かっこよくもない男の子です。立教大学法学部法学科3年のAと申します。ご講演ありがとうございました。1つ質問させていただきたいことがあるのですけれども、先ほど盲学校の生徒だったり、中高年の方、結構幅広い世代の方にクライミングの講座をされているというお話があったと思うのですが、その方々がそれを経て、何か新しく見つけたりとか、明るくなったみたいな、何か変わったことがあるエピソードがあったらお伺いしたいなと思ったのですが、そういうのはありますか。 小林/ ありがとうございます。特別ある人がどうということよりも、共通しているなと思うのは、やはり皆さん「できないと思っていた」という方が多いのです。例えば、ご本人たちだけではなくて、まわりにいらっしゃるご家族とかもそうなのですけれども、やっぱりこんなことはできないと思っていましたと。でも、やはり自分の中でできるということの発見の喜びとか、自分でできないと決めつけているのだなと気がつきましたとか、そういうようなことをおっしゃる方が結構多いです。やはりその先、では、それが日常生活にどうなっていったかというのは、やはり言葉にしてくださる方もいれば、そうでない方ももちろんいらっしゃって。でも、結構言葉にして「見方が変わりました」という方もいらっしゃいますし、お子さんたちで言うと、落ちそうになったら簡単に手を離さないで、でっかい声で「絶対にできる」と言ってから、もうちょっと頑張ってみようと言っているのです。親御さんたちに伺ってみると、障害を持っているお子さんたちは「お姫様、お殿様」だと。すごく手厚く保護をされている障害者、障害を持っているお子さんが多いから、そんな中、悔しがったりとか、自分の力で頑張るという経験をすることすら少なくて、そんなお子さんたちが自分たちの中で頑張ることを発見していますよと。言葉にはならないけれども、そういう姿がはっきりあるのですということで、感謝をいただけたり、ということはあります。 参加者A/ ありがとうございます。 小林/ ありがとうございます。 ●写真 1人の参加者が立って質問している。周囲には参加者が10名ほど座っている。 司会B/ ありがとうございました。ほかにご質問のある方はいらっしゃいませんか。それでは、手前の女性の方。今マイクをお持ちいたします。 一般参加者B/ すみません、またかわいいとはちょっと言い切れない女性です(笑)。 小林/ 自分で言えないですよね、ありがとうございます。 一般参加者B/ 先ほどちょっとお話しさせていただいた○○の母です。息子は7歳なのですけれども、去年クライミングに出会ってから、この1年間、もうクライミングが大好きで、大好きでしょうがないという感じがすごく伝わってきて、母としては小林さんのように、大好きなものを長く、長く続けて、その中でいろいろな人と出会ったり、いろいろな経験をしてほしいなと思っているのですけれども、そういう大好きなものに出会って、長く続けるために何が一番大きかったのかなというのをお聞きできたらなと思います。 小林/ ありがとうございます。○○くん、小学校 2年生と先ほど伺って、一緒に写真とか撮らせてもらったのですけれども、これからたくさんいろいろな人生を歩んでいくのかなと思います。私の人生を振り返ってみたときに、なぜ1つのクライミングが続けられたのかというと、このスポーツそのものの魅力もそうなのですけれども、人生の中でクライミングだけがすべてではなかったというのが大きかったかなと思うのです。自分の中でクライミングが中心にあったのですけれども、例えば、仕事も充実していましたし、クライミング以外の友人関係もたくさんありましたし、外国に行くということは、クライミングをしに行くためだけではなかったし、自分で旅行したりもそうでしたし。やはり何か1つを続けるためには、それだけをやっていると、当然ですけれども、人間、波があるので、気持ちがすごく向いているときも、沈んでいるときも、気持ちが離れるときもあるので、でも、やはりそこが常に自分の人生の中心であり続けるためには、それ以外の、人としての幅を持てていたほうがいいのかなと思うので、クライミング以外の物事にも興味や関心を持てるということがとても大切なのではないかなと思います。○○くんがこれから成長していく過程で、ほかのいろいろなスポーツをやってみるのも大事だと思いますし、ほかのどんな仕事に就くのかということでいろいろなものに興味を持つのも大事だと思います。でも、クライミングはどんなことをやっていても、プロのスポーツ選手がセカンドスポーツとしてクライミングをやったり、多くの大人たちがストレス解消としてクライミングをやっていたり、いろいろな人がいます。なので、クライミングはどんな環境でも続けられるスポーツであるということがすばらしいと思うので、ぜひそれ以外のいろいろなものに関心を持ってもらえたらうれしいなと思います。 司会B/ ありがとうございました。ほかにご質問のある方はいらっしゃいませんか。それでは、左の。今マイクをお持ちします。 参加者C(本学学生)/ こんにちは。現代心理学部映像身体学科3年のCと申します。小林さんがクライミングをする際に、目が見えなくてもどのように登る崖を理解して、どのように登るのか。その体の使い方について自分は興味をもっています。どういう考えをもって実際に体を動かしているかということについて、お話をいただけますか。 小林/ 体の使い方について? 参加者C/ そうですね。実際に登る際の実践的な考え方といいますか、どのように考えているのかということについて。 小林/ クライミングはされたことがありますか。 参加者C/ いえ、自分はまだ。 小林/ ないですか。では、今日このまま行きましょう。 参加者C/ わかりました。 小林/ 結論から言うと、目が見えないから特別体の使い方が違うとか、目が見えないから考え方が違うとかいうことはないです。先ほどのお話で工夫をこらすということはお伝えしたのですけれども、クライミングの中でも全く同じで、与えられているスタートとゴールは同じなのですね。ここからここまで、人工の壁でいえば、この石とこの石とこの石だけを使ってゴールまで行ってくださいというのが課題として出されるわけです。それをどう登るかなので、イメージしていただきたいのは、例えば身長195センチの全盲の人と、身長145センチの普通に目が見えている方と、上に登る岩登りをしましょう。どちらが有利でしょうかと考えたときに、目が見えないと不利で、目が見えれば有利でということもなくなると思うのですね。そのときに大切なのは、どう登るかの工夫のこらし方が巧みな人がゴールまで行けるということだと思うのです。僕はクライミングというのは、そういうものなのではないかなと思っているので、もちろん肉体的な能力とか筋力とか、いろいろありますけれども、目が見えないから何か特別なことをする、目が見えないから特別な体の使い方をするというのは、あまりないです。あまりないというか、ほとんどないと思ってやっています。 参加者C/ ありがとうございました。 小林/ はい。この後、ぜひいらしてください。 司会B/ ありがとうございました。ほかにご質問のある方はいらっしゃいませんか。それでは、一番後ろの男性。 参加者D(本学学生)/ こんにちは。立教大学文学部史学科2年のDと申します。今日はお忙しい中、ご講演ありがとうございます。質問なのですが、私には祖母がいて、祖母は最近、ここ何年かやることがなくて、元気がなくて暇そうにしているのですが、その祖母に新しいこういう、例えばクライミングだとか、何かほかのものでも、新しい分野を、楽しそうなものを教えてあげたいなと思うことがあります。そういうふうに考えること、また、そういうときにどう声をかけたらいいのかということについて、どのようにお考えでしょうか。 小林/ めちゃくちゃ難しい質問ですね。 参加者D/ すみません、ちょっと複雑で。 小林/ いやいや、いやいや。Dさん、おばあさまの年はお幾つかお分かりになりますか。 参加者D/ 70過ぎです。 小林/ 70過ぎ。私の母と同い年ぐらいかなと思うのですけれども、私の母が今73歳です。去年、くも膜下出血というのをして倒れまして、病院の集中治療室に1ヶ月以上いて、無事退院してきて、今、一人暮らしをしているのですが、彼女はたまに、私にもできるかしらと言って、クライミングをします。私たちモンキーマジックの教室に参加された方で、一番年上の方は82歳の視覚障害の男性で、この方が生まれて初めてクライミングをしたのは81歳のときです。やはりご高齢になられて、それこそ多くの方が、もうできないと諦めていらっしゃることも多いと思うのです。なので、では、どうしたらその諦めていることに興味を持って一緒にやろうと思えるのかというきっかけがすごく大事なのではないかなと思うのです。そうなると、大学生のお孫さんとちょこちょこ飲みに行くとか、普段聞くことのない話を聞くとか、誘われてお孫さんと一緒にクライミングをしに行くとか、そういううれしいきっかけが一番大事なのではないかなと思うのです。なので、クライミングで言えば、年齢的にできないかというと、年齢的に既に事例は僕らたくさんあるので、できますよと自信を持って言えるのですけれども、やはり何より大事なのは、「じゃあ行ってみようかしら」と思えるきっかけだと思うので、そこにはやはり孫パワーは絶大だと思いますから、誘ってあげてください。 参加者D/ なるほど。大変参考になりました。 小林/ おばあさまは遠くにいらっしゃるのですか。 参加者D/ 一緒に住んでいなくて、ちょっと施設に今入っているので、休暇でないと、あまり会いに行くことはないのですが。 小林/ 行ってあげてください。 参加者D/ はい、ぜひ。 小林/ 頑張ってください。 参加者D/ はい、ありがとうございました。 司会B/ それでは、小林さん、質問された皆さん、ありがとうございました。ほかにも質問がある方がいらっしゃると思うのですが、時間の都合上、これで質疑応答を終わりにさせていただきます。  最後に閉会の挨拶を学生部副部長、コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科の安松幹展先生にお願いしたいと思います。安松先生、よろしくお願いします。 ●写真 閉会の挨拶をする安松先生のアップ。 安松/ まず、小林さん、きょうは貴重なお話をありがとうございました。僕はスポーツウエルネス学科の教員なのですけれども、お話を聞いて、1つ思い出しましたのが、トロントにありますバラエティビレッジという施設です。皆さん、ご存じの方もいるかもしれませんけれども、いろいろな障害を持っている方も、健常者も、高齢者もみんなが同じスポーツ施設で一緒にスポーツをしている場所なのですね。そこでダイレクターの方が言っていらっしゃったのが、「こういう施設をつくるのは簡単だ。一緒に運営していくメンタリティーを育てるのが非常に難しいんだ」とおっしゃっていました。今日お話を聞いていても、その人を見る、ですとか、可能性を見るというのは、そういうメンタリティーを育てていくという、そういうところに非常に僕ら自身も宿題があって、そこをまさに大学の中で教育していく大事な視点なのだなということで、大変勉強になりました。ありがとうございました。  そしてあともう1つ、長くなってすみません、非常に面白いお話だったので。「克服」が非常に大事なキーワードだとおっしゃっていたと思うのですけれども、子どもたちが今、運動から離れてゲームとかに進んでいるという話で、なぜゲームにみんな熱中するのかなと子どもたちに聞くと、やはりあれはステージごとに克服していくのですよね。ここをクリアしていく、ここをクリアしていく。そこに熱中していくわけです。僕にとってはサッカーなのですけれども、なかなかサッカーとかでレベルを、ステージを越えていくということはあまりないなと思って、実はうちの息子も今、サッカーからクライミングのほうに徐々に移ってきているのですけれども、何が面白いのかといったら、やはりできないのができるようになるという。ですから、そういううまくレベルを設定して成功体験や克服というところをキーワードにしていくと、熱中させていくことができるのではないか。これも健康やウェルネスといったところに応用できるのではないかと思って、大変勉強になりました。今日は本当にありがとうございました。 司会A/ 安松先生、どうもありがとうございました。この話を聞いて僕が一番感銘を受けたところは、何かを、壁を乗り越えていくときに、自分で一歩踏み出すということがすごく大事だと小林さんがお話しされていたのですけれども、その中でもさらに、誰かと出会って、それをきっかけにしてさらに一歩乗り越えていく力としていくという力強さみたいなものにすごく感銘を受けました。  最後になりますが、お忙しい中、ご講演くださった小林幸一郎さんに、もう一度、大きな拍手をお送りください。小林さん、本日は本当にありがとうございました。<場内拍手> ●写真 感想を話す司会Aのアップ。 小林/ 先生はじめ、たくさんの拍手もいただきまして、本当にありがとうございます。最初にお話しさせてもらったのですけれども、今日この後クライミング、特にアイマスクを付けてクライミングを体験する機会を、大学の先生方の大変なご調整で設けていただきました。実際に体験することもそうなのですけれども、ご見学いただくだけでも可能だそうですので、ぜひご一緒いただくお時間のある方、この後、3時半集合で4時からの1時間です。お時間とれる方、ぜひご一緒いただけたらうれしいです。受付のほうで申し込みをお済ませになって、ぜひお越しください。さっき質問いただいた映像身体学科の方、来てくださいね。待っています。ありがとうございました。 司会A/ では、3点ほど事務連絡がございます。  1つ目は、アンケートに関するお願いです。講演会が始まる前にお配りしたアンケートへご記入をお願いいたします。今回の講演会を聞いて感じたこと、気になったこと、意見など、どんなことでもご記入いただければ幸いです。ご記入が終わりましたら、会場を出たところに回収箱がございますので、そちらに入れてください。アンケートをお持ちでない方や、点字のアンケート用紙をご希望の方、アンケートの代筆をご希望の方がいらっしゃいましたら、お手数ですが、挙手をしてお近くのスタッフにお知らせください。  2つ目は、このあと16時より行われます本講演特別企画についてお知らせいたします。今お話をしていただいた小林さん、さらに本学学生であり、クライミング、ボルダリングの選手として世界大会で活躍されている羽鎌田さんを講師としてお迎えして、ボルダリングの体験と見学をしていただきます。ボルダリング体験は事前予約制ですが、まだ定員に達していないため、先着で19名様まで追加でお申し込みが可能です。ご希望の方がいらっしゃいましたら、受付にてお申し出ください。また、ボルダリング体験の見学でしたら、今から何名様でも受付が可能ですので、こちらも受付にてお申し出ください。ボルダリング体験の終了は、16時40分を予定しております。ぜひ、体験、見学していただければと思います。  3つ目に、ご歓談のご案内です。16時より特別企画を行う関係で、ご歓談は15時30分までとさせていただきます。また、ご歓談はこのホールを出てロビーにてしていただけるよう、お願いいたします。また、ボルダリング体験に参加もしくは見学をされる方は、15時30分にスタッフがロビーにてお声がけをいたします。一度ロビーで集合していただき、そこからスタッフの誘導で会場へと移動していただきます。ご協力をお願いいたします。  事務連絡は以上になります。その他ご不明な点やお困りのこと等がございましたら、お近くのスタッフにお声がけください。  では、これをもちまして講演会を終了とさせていただきます。本日はお忙しい中、ご足労いただき、本当にありがとうございました。お気をつけてお帰りください。<場内拍手> ●写真 会場後方より見た、会場の全景。前方にはスライドの前で話す小林氏がおり、客席は多くの参加者で埋まっている。 ※なお、モンキーマジックでは「障害」は漢字表記としているため、本稿でも漢字表記とした。 ■特別企画  今回の講演会では、世界チャンピオンの小林さんを講師にお迎えしたことから、本学のポール・ラッシュ・アスレティックセンターにあるウォール(クライミングで用いる人工壁)を利用した特別企画を行いました。  特別企画では、参加者がアイマスクを着用し、視覚障害クライミング体験をしてもらいました。この体験を通して、「しょうがいのあるなしに関係ないクライミングの魅力」を感じることができたのではないでしょうか。  体験には、小学生から大学生や大人まで、さまざまな年代の方が参加しました。聴覚障害のある方と同じチームの参加者は、アイマスクをして見えない・聞こえない状態の相手とどのようにコミュニケーションを取るか、方法を工夫して取り組んでいました。  体験の最後には、フリークライミングのワールドカップなど世界で活躍している日本を代表するクライミングの選手、羽鎌田直人さん(本学法学部4年)によるデモンストレーションがありました!世界レベルのダイナミックな動きのクライミングに、参加者からは「おお~!」という歓声も上がりました。  特別企画にも学生による情報保障がつき、パソコンテイク・手話通訳によって聴覚障害のある方にも楽しんで参加していただくことができました。 ●写真 ウォールを登る小林氏のアップ。 ●写真 ウォールの前に立ち、視覚障害のある人への声掛けについて解説をする小林氏とモンキーマジックの女性スタッフ。女性は「H・K・K」と書かれたスケッチブックを持っている。 ●写真 ウォールの前での情報保障(パソコンテイク)の様子。ウォールには小林氏が登っており、その手前にパソコンテイク用のスクリーン、更に手前にパソコンテイクをしている学生が2名。 ●写真 会場後方より見た、会場の全景。奥のウォールに背を向けて小林氏とモンキーマジックの女性スタッフが立っており、右手にはスクリーンがある。小林氏を囲むように、参加者が床に座っている。 ●写真 ウォールを登る参加者の全景。ウォールの上部まで登っている参加者が1名、5名程の参加者は地面に足が着いた状態で下部の石を掴んでいる。 ●写真 ウォールを登る参加者。4名の参加者が写っている。左から、アイマスクの人と手を引いてウォールまで誘導する人、ウォールの中部まで登っている人、地面に足を着けた状態で石に手を掛けて登り始めた人。 ●写真 斜めのウォールを登る参加者のアップ。アイマスクをしてウォールの石を掴み、上部に顔を向けている。 ●写真 ウォールに登る参加者たちに、「がんば!」と声を掛ける小林氏。 ●写真 ウォールに登る参加者(アイマスクをしている子供)と、地面に立って子どもの肩に棒で合図を送っている参加者(大人)。写真キャプション「相手に伝えるコミュニケーション、肩をたたいて合図」。 ●写真 ウォール上部で石を掴んでいる男性。足は宙に浮いている。写真キャプション「羽鎌田さんのデモンストレーション」。 ■当日の様子 最終ミーティングで流れを確認 ●写真 丸テーブルを囲んで座り話し合いをしている、20名弱の学生。椅子が足りずに立っている人もいる。 特別企画 打ち合わせの様子 ●写真 ウォールの前で向かって立つ3人の後姿。左から、モンキーマジックの女性スタッフ、羽鎌田さん、小林氏。 案内・誘導 ●写真 会場外で来場者を誘導する様子。来場者は2名、一人は白杖をもち、もう一人の腕につかまりながら歩行している。2名を見ながら、会場を示して誘導している学生。 受付 ●写真 受付と書かれた紙の貼ってある机に2人が向かい合う。1名は来場者の女性、1名は座っている受付係の学生。 ロビーでの歓談の様子 ●写真 小林氏を含め、4名が輪になって話している。左側2名は小学生の男の子とお母さん、右側は小林氏とモンキーマジックの女性スタッフ。 小林さんを囲んで、集合写真 ●写真 小林氏、40名ほどの学生スタッフ、支援室スタッフが集まっている。全員笑顔で、手を頭とあごに当てるポーズをしている(このポーズは手話で猿・モンキーを表す)。 以上