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教員に聞く!文学部で学べること  教育学科 渡辺 哲男 准教授

AI時代に問われる人間の言葉を「国語」で獲得する

 国語の授業には「言葉の学び」がなければなりません。例えば、小学校の時、「ごんぎつね」の物語を読んだ記憶があると思います。そして授業では、登場人物の兵十の心情の変化やごんの気持ちを考えてみたりしませんでしたか? 私は、このように、主体的な感想を口にすることが言葉の学びだとは考えていません。それよりもむしろ、こうした作品がどういう背景で文学として成り立ってきたのか。作者はどういう意図があって作品を作ったのか。物語の中で言葉一つひとつがどのように機能しているのか。そうしたことを理解する過程が言葉の学びであり、私たちの言葉の表現に活かせると考えています。

 このように、文学の成り立ちをまずは教師が知ることが大切ですが、とかく忙しいといわれる学校の先生が、一つひとつの教材を独力で研究することは難しいと思います。そのため、私たちのような研究者が研究し、現場の先生との交流を通して、授業に活かすことが大切です。「ごんは狐なのにどうして喋るの?」という子どもの質問は、とても本質的です。なぜ物語の中で狐が言葉を話すのか、ということが実はとても大切なポイントなのです。そのため、教材研究の授業では、実際に指導案を作って、模擬授業を行います。その様子を動画で撮影し、インタビュー形式で振り返ってみます。

 2016年度、私のゼミではロボットや人工知能をテーマにしています。最近は人型のロボットが店頭などで接客する姿がニュースになったりしていますが、経済格差が問題にもなっている社会において、私は「このまま放っておくと、人間は、ロボットにも通じる一義的な意味しかとれない言葉しか使わないようになるのではないだろうか」という問題意識を持っています。例えば「食べ物を食べたい」とか「いい大学、会社に入りたい」という、「生き延びる」ための明確な目的を前提とした言葉が重視され、目的に拘らない冗長性のある対話が失われるかもしれないと危惧しています。そうなると、「結論」だけが重視され、そのプロセスはどうでもよいということになってしまいます。また、私たちの言葉が貧困になるということは、経験も貧困になるということです。

 こうした社会の中で、学校では普通にやっている、「生き延びる」ということに拘らない「人間らしい」コミュニケーションを無くさないために、ロボットや人工知能と人間が今後どう付き合い、関係を築くかといったことも視野も入れつつ、国語科教育が解決できることはないか、といったことを考えています。

 そのために、何となく粘土をこねていたらいつの間にか何かの形が見出せるように、自分の考えも言葉にしてみるまでは分からないものです。だからまずは独り言でもいいから言葉にしてみる。それが結果として他者との対話になっていく、というコミュニケーションの捉え直しが必要だと思っています。

(取材日:2016年12月)

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