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全カリは広場(フォーラム)だ、というのが、私のかねての考え方である。新しいカリキュラムをつくり、それを請け負う機関ではない。また、専門学部の意向のままに予備教育を行う機関でもない。この広場に集まった教職員が、卒業までのカリキュラムの目標と構造と質を決め、全学の合意と協力のもとに形づくってゆく、そのような広場である。
この研究年報が、研究論文を集成したいわゆる「研究紀要」的なものにならなかったことを喜んでいる。「大学教育研究フォーラム」というタイトルのこの紀要が、開かれた討議と情報交流の場になることを心から期待する。
情報交流と言えば、大学関係者が一般に大学そのものについての情報にうとい、というのは、所々方々で聞く話である。行政官庁が大学に対しておこなう規制については多くの不満や批判が語られる。わたくしもその不満をもつことが少なくない。しかし、規制を生み出させている一因は、大学自身の側に、情報の収集と共有への努力が足りないことである。この「フォーラム」に、大学についての、日本の大学についての、そして世界の大学についての新鮮な情報が次々に載れば、それは立教大学の大学としての「実力向上」に大いなる援けになるはずである。
しかし、これからの大学にとって必要なのは、たんなる「ニュースとしての情報」ではない。洞察と決断、これが21世紀を目前にした大学にとって、最も求められていることである。創刊号の柱に、昨秋開かれたシンポジウム「21世紀の大学教育を考える」の記録を収めることができたのは、この意味でよろこばしいことである。有馬朗人先生をはじめ、このフォーラムに集まって下さったのだから。
学士課程教育にリベラル・アーツの学習とさまざまな言語の能力発達を期する−これも全カリを構想したときの立教の決断だった。この決断を支えた洞察は、必ず21世紀の立教の行く手を照らすものと確信している。この「大学教育研究フォーラム」は、その方向に向けての識見や報告が交流される場になってほしい。
’97年4月から、この広場には、もう一群の人々が集まる。学生諸君である。彼らを迎え、その言葉を受け止めることができれば−これも「大学教育研究フォーラム」へのひとつの夢である。
(寺崎昌男 初代全カリ部長 「大学教育研究フォーラム」創刊号より 1996)