(マタイによる福音書第18章20節)
立教大学チャプレン 上田亜樹子
毎回、ここに何を書いたらよいかと苦しむが、気がついて教会の暦を開いた。ふと見ると1月27日は、ヨハネ・クリソストム主教の祝日。祈祷書の諸祈祷の中に「クリソストムの祈り」というものがあるが、はたしてクリソストムがどんな人だったのか、不勉強でさっぱり思い出せない。そこでちょっと調べてみることにした。
クリソストムは西暦354年にシリアのアンテオケで生まれているが、若い時に砂漠でかなりストイックな修道生活を過ごしたようである。後にコンスタンティノープルの主教となってからは、当時の統治者ににらまれ、何度も国外追放となった挙げ句、亡命先において53歳で亡くなったという。死んでからも国内にはなかなか入れてもらえず、没後31年を経てやっとその遺体は故郷に帰り、埋葬されたのが1月27日だったということらしい。
ここで話を終わってしまうと、ただの悲劇の人だが、実は10年余の短い活動期間は、後世にかなりの影響を与えている。「才能のない聖職者の説教を聞かされる魂は、嵐の中でひっくりかえった船の中にいるようなもの」と彼は言ったそうだが(汗)、当時の聖職者中心主義に一石を投じ、一般の人々から真摯に聴くこと、人々が何を本当に必要としているのか見極める洞察力を身につけることや、貧しい人々にもっと共感することなど、聖職者に苦言を呈するのに遠慮しなかった様子がうかがえる。そして、クリソストム自身は、まさにその名前が示すとおり、「(クリソストム=)黄金の口を持った」人だったようだ。彼の語る言葉にはちからがあり、多くの人が彼の説教を聞くために群をなして集まってきたという。
そんなクリソストムであったので、人々に囲まれている日常こそあれ、一緒に祈る仲間に不足するなど、普段の生活ではあり得ないことであったにちがいない。「クリソストムの祈り」(※下記参照)を彼自身が本当につくったのだとしたら、それこそ何も持たずに逃れていった追放先で、思わずその黄金の口をついて出た言葉だったのかもしれないと、私は想像する。これまで積み上げてきた土台、正しいと信じて歩いてきた道がすべて目の前から消え、何が真理で何が善なのか見えなくなるような嵐の中で、真理と善を追い求める仲間が、ひとりでもふたりでももしそこにいるのなら、神の存在を信じることができるのではないか、なんとか自分は崩壊せずに踏んばることができるのではないか、そんな叫びが聞こえてきそうである。良い仕事をした筈なのに日の目を見ず、いったい何処に仲間がいるのかも見失った時にはじめて、私たちは重い腰を上げ、それぞれの原点に立ち戻る気になるのかもしれない。大勢の人々に何かが届くことは大切だが、届くことばかりが優先された時に、その中味が空洞化していく傾向と闘う必要に気がつくことができるのかもしれない。何故ならば、人間を同じ色に塗り潰しひとつの固まりとして処遇するのではなく、その中に生きているひとりひとりと、私たちが出会っていくことに招かれているのだから。
<クリソストムの祈り>
「今この共同の祈りに心を合わせて祈る恵みを与えてくださった主よ、
あなたはみ名によって心を一つにする二人または三人に、み心にかなう願いを遂げさせてくださると約束されました。どうか僕らの願いをかなえて益とならせ、今の世では主の真理を悟り、後の世では永遠の命の恵みにあずかることができるようにお願いいたします。アーメン」
2010年1月28日