「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」

(ヨハネによる福音書12章24~25節)

「一粒の麦もし死なずば」をご存知だろうか。フランスの作家アンドレ・ジッドの、いわば告白録だ。ジッドはいわゆるキリスト教文学の作家ではないが、聖書の題材を好んで選んでいる。
作品は純愛小説もあるが、むしろ退廃的な香りのする作品を残している。ヨハネ福音書の一節をタイトルとしたこの作品は、すでに著名な作家となっていたジッドが公刊した自伝であり、少年期の出来事など度を越した自己暴露とも言える内容を含んだ問題作だ。

ジッドが、あまりに大胆な告白録のタイトルにこの聖句を選んだ意図はなんだろうか。一言で言えばそれは「死と再生」かもしれない。
作家にとって赤裸々な告白は痛みであり、自己の内面との格闘の結果であったのだろう。そして彼は一度死ぬこと、守るべきすべてを、ひとたび手放してしまう大胆な行動に出たのかもしれない。

作家であれば、芸術表現の中で自ら「地に落ちて死ぬ」ということも可能かもしれない。しかし人間は麦ではない。
自らの内側に秘められた新しい命の出現のために、地に落ち、そこで腐敗していく自分自身を、はじめから想像することなど誰にもできないはずだ。
人間は麦ではないから、たとえ地に落ちて新たな命を生み出さなくても、一粒のままで十分なはずだ。自分ひとりが生きているだけで、それだけで十分だ。

我々人間は、ただ自分の命をせいいっぱい生きるだけで、多くの実を結ぶことなど必要ないはずだ。
ただ、イエスという方は、自分の命が他者を生かすものであり、自分の死でさえも他者を生かすものであると信じて生き、そして死んだ。そのことを忘れないでいれば、それだけで十分だ。

2006年4月17日

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