立教大学ジェンダーフォーラム
ミッチェル館の歴史

ミッチェル館の歴史

ミッチェル館は、正式にはロザリー・ミッチェル・メモリアル・ホールといい、1959年に開設され1998年に閉館されるまで、39年間にわたり女子学生の生活の場として運営されてきました。ここで生活をした学生はおよそ1400名、その一人一人の思い出を刻んで1998年3月、閉館の時を迎えました。

ミッチェル館が設立されるまで(-1958)

立教大学の拡張期に、さまざまな施設の増設の一つに地方からの女子学生のため女子寮建設計画があった。米国ペンシルバニア州の聖公会信徒ミッチェル氏の遺産である基金2万ドルの提供の申し出があり、具体化し、ミッチェル氏を記念して名づけられた。たんなる寮機能だけでなくー女子学生センターの計画へと膨らみ、大畠教授らの助言のもと、女子学生による寮建設委員会も組織され、ダンス・パーティー、コンサート、映画会などを催し、収益金を寄付して、必要性を訴えた。
1959年、寮機能が優先される形で、旧館部分の建設が完了、女子学生寮として発足した。

設立から新館増築まで(1959-1966)

基本理念として、立教大学の「建学の精神」であるキリスト教に基づく教育を実施し、女子学生の人間的成長を図ることを目的とした、教育寮であった。館長には、学生部長が、その任に当たり、又、総長より、チャプレン、カウンセラーが任命された。カウンセラーは、館生と共に館生活を送り、生活全般にわたる指導・助言をした。なお、運営諸般に亘っては運営管理委員会が設けられている。学生の生活は「自活活動」によるもので、毎年役員の選挙が行われ、ホール・マスターをはじめ各係が選ばれ、ホールミーティングなどの、ミーティングシステムが行われた。

新館完成から1970年代前半まで(1967-1975)

1967年4月新館が完成し定員が60名に増え、カウンセラーは2名に。全国的に起こった大学紛争の影響を受け、館内では寮費値上げ反対運動や規則改定運動が起きた。

1970年代後半から1980年代前半まで(1976-1985)

館生側から、館の施設状況、生活上の制限に対する快適さを求める要求が出され、定員の削減等をし、館生のニーズに対応し、次第に厚清寮化への要因ともなった。又、様々な工夫が生まれ、以後、毎年外国から留学生を迎えた。

1980年代後半以降(1986-1998)

1990年に立教大学における女子学生の占有率が40パーセントを超えた。
時代の流れには勝てず、1998年3月閉館となる。

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